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『三三藏祈雨事』


(★876㌻)
 本文をとりつめていうべし。仏法はさてをきぬ。上にかきぬる事天下第一の大事なり。つてにをほせあるべからず。御心ざしのいたりて候へばをどろかしまいらせ候。日蓮をばいかんがあるべかるらんとをぼつかなしとをぼしめすべきゆへにかゝる事ども候。むこり国だにもつよくせめ候わば、今生にもひろまる事も候なん。あまりにはげしくあたりし人々は、くゆるへんもやあらんずらん。
  外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしが、やうやくわかれて九十五種なり。其の中に多くの智者神通のものありしかども、一人も生死をはなれず。又帰依せし人々も善につけ悪につけて皆三悪道に堕ち候ひしを、仏出世せさせ給ひてありしかば、九十五種の外道、十六大国の王臣諸民をかたらひて、或はのり、或はうち、或は弟子、或はだんな等無量無辺ころせしかども仏たゆむ心なし。我此の法門を諸人にをどされていゐやむほどならば、一切衆生地獄に堕つべしとつよくなげかせ給ひしゆへに退する心なし。この外道と申すは先仏の経々を見てよみそこなひて候ひしより事をこれり。
  今も又かくのごとし。日本の法門多しといへども源は八宗・九宗・十宗よりをこれり。十宗のなかに華厳等の宗々はさてをきぬ。真言と天台との勝劣に、弘法・慈覚・智証のまどひしによりて、日本国の人々、今生には他国にもせめられ、後生にも悪道に堕つるなり。漢土のほろび、又悪道に堕つる事も、善無畏・金剛智・不空のあやまりよりはじまれり。又天台宗の人々も慈覚・智証より後は、かの人々の智慧にせかれて天台宗のごとくならず。さればさのみやわあるべき。いわうや日蓮はかれにすぐべきとはわが弟子等をぼせども、仏の記文にはたがわず、末法に入って仏法をはうじて無間地獄に堕つべきものは大地微塵よりも多く、正法をへたらん人は爪上の土よりもすくなしと涅槃経にはとかれ、法華経には設ひ須弥山をなぐるものはありとも、我が末法に法華経を経のごとくにとく者ありがたしと記しをかせ給へり。大集経・金光明経・仁王経・守護経・はちなひをん経・
 

平成新編御書 ―876㌻―

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