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『南条殿御返事』
(★883㌻)
法華経にて光明如来と名をさづけられさせ給ふと、天台大師文句の第一にしるされて候。かれをもって此をあんずるに、迦葉尊者の麦のはんはいみじくて光明如来とならせ給ふ。今のだんなの白麦はいやしくて仏にならず候べきか。
在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり。その上、上一人より下万民までににくまれて、山中にうえしにゆべき法華経の行者なり。これをふびんとをぼして山河をこえわたり、をくりたびて候御心ざしは、麦にはあらず金なり、金にはあらず法華経の文字なり。我等が眼にはむぎなり。十らせつには此のむぎをば仏のたねとこそ御らん候らめ。阿那律がひえのはんはへんじてうさぎとなる、うさぎへんじて死人となる、死人へんじて金となる。指をぬきてうりしかば又いできたりぬ。王のせめのありし時は死人となる。かくのごとくつきずして九十一劫なり。釈まなんと申せし人の石をとりしかば金となりき。金ぞく王はいさごを金となし給ひき。今のむぎは法華経のもんじなり。又は女人の御ためにはかゞみとなり、みのかざりとなるべし。男のためにはよろひとなり、かぶととなるべし。守護神となりて弓箭の第一の名をとらるべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐々謹言。
七月二日 日 蓮 花押
南条殿御返事
追申
このよの中は、いみじかりし時は何事かあるべきとみえしかども、当時はことにあぶなげにみえ候ぞ。いかなる事ありともなげかせ給ふべからず。ふつとおもひきりて、そりょうなんどもたがふ事あらば、いよいよ悦びとこそおもひて、うちうそぶきてこれへわたらせ給へ。所地しらぬ人もあまりにすぎ候ぞ。
平成新編御書 ―883㌻―
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