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『清澄寺大衆中』


(★946㌻)
  今年は殊に仏法の邪正たゞさるべき年か。浄顕の御房・義城房等には申し給ふべし。日蓮が度々殺害せられんとし、並びに二度まで流罪せられ、頚を刎ねられんとせし事は別に世間の失に候はず。生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん、明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候ひし故に、一切経を見候ひしかば、八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ。其の上真言宗は法華経を失ふ宗なり。是は大事なり。先づ序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ。其の故は月氏漢土の仏法の邪正は且く之を置く。日本国の法華経の正義を失ふて、一人もなく人の悪道に堕つる事は、真言宗が影の身に随ふがごとく、山々寺々ごとに法華宗に真言宗をあひそひて、如法の法華経に十八道をそへ、懺法に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の灌頂をして真言宗を正とし法華経を傍とせし程に、真言経と申すは爾前権経の内の華厳・般若にも劣れるを、慈覚・弘法これに迷惑して、或は法華経に同じ或は勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印真言をもって開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ。結句は天魔入り替はって檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。此の悪真言かまくらに来たりて又日本国をほろぼさんとす。
  其の上、禅宗・浄土宗なんど申すは又いうばかりなき僻見の者なり。此を申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、建長五年四月二十八日、安房国東条郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして、浄円房と申す者並びに少々の大衆にこれを申しはじめて、其の後二十余年が間退転なく申す。或は所を追ひ出だされ、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を、今は見る日蓮が刀剣に当たる事を。日本国の有智無智上下万人の云はく、日蓮法師は古の論師・人師・大師・先徳にすぐるべからずと。日蓮この不審をはらさんがために、正嘉・文永の大地震・大長星を見て勘へて云はく、我が朝に二つの大難あるべし。
 

平成新編御書 ―946㌻―

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