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『松野殿御消息』


(★951㌻)
 夫より今に七百余年なり。先一千四百余年が間は日本国の人、国王・大臣乃至万民一人も此の事を知らず。今此の法華経わたらせ給へども、或は念仏を申し、或は真言にいとまを入れ、禅宗・持斉なんど申し、或は法華経を読む人は有りしかども、南無妙法蓮華経と唱ふる人は日本国に一人も無し。日蓮始めて建長五年夏の始めより二十余年が間、唯一人当時の人の念仏を申すやうに唱ふれば、人ごとに是を笑ひ、結句はのり、うち、切り、流し、頚をはねんとせらるゝこと一日二日・一月二月・一年二年ならざれば、こらふべしともをぼえ候はねども、此の経の文を見候へば、檀王と申せし王は千歳が間、阿私仙人に責めつかはれ身を床となし給ふ。不軽菩薩と申せし僧は多年が間悪口罵詈せられ刀杖瓦礫を蒙り、薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間身をやき、七万二千歳ひぢを焼き給ふ。此を見はんべるに、何なる責め有りとも、いかでかさておき留むべきと思ふ心に、今まで退転候はず。
  然るに在家の御身として皆人にくみ候に、而もいまだ見参に入り候はぬに、何と思し食して御信用あるやらん。是偏に過去の宿植なるべし。来生に必ず仏に成らせ給ふべき期の来たりてもよをすこゝろなるべし。其の上経文には鬼神の身に入る者は此の経を信ぜず、釈迦仏の御魂の入りかはれる人は此の経を信ずと見へて候へば、水に月の影の入りぬれば水の清むがごとく、御心の水に教主釈尊の月の影の入り給ふかとたのもしく覚へ候。
  法華経の第四法師品に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して、我が前に在って無数の偈を以て讃めん。是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん」等云云。文の意は一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも、末代の浅智なる法華経の行者の、上下万人にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を、やすりを以て無量劫が間するともつきまじきを、梵天三銖の衣と申して、きはめてほそくうつくしきあまの羽衣を以て、三年に一度下りてなづるに、なでつくしたるを一劫と申す。此の間無量の財を以て供養しまいらせんよりも、
 

平成新編御書 ―951㌻―

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