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『妙密上人御消息』


(★968㌻)
 又聖人なり。伝教大師は道邃・行満に止観と円頓の大戒を伝へたり、これは賢人なり。入唐已前に日本国にして真言・止観の二宗を師なくしてさとり極め、天台宗の智慧を以て、六宗七宗に勝れたりと心得給ひしは是聖人なり。然れば外典に云はく「生まれながらにして之を知る者は上なり上とは聖人の名なり。学んで之を知る者は次なり次とは賢人の名なり。」と。内典に云はく「我が行、師の保け無し」等云云。
  夫教主釈尊は娑婆世界第一の聖人なり。天台・伝教の二人は聖賢に通ずべし。馬鳴・竜樹・無著・天親等、老子・孔子等は、或は小乗、或は権大乗、或は外典の聖賢なり。法華経の聖賢には非ず。
  今日蓮は聖にも賢にも有らず。持戒にも有智にも有らず。然れども法華経の題目の流布すべき後五百歳・二千二百二十余年の時に生まれて、近くは日本国、遠くは月氏漢土の諸宗の人々唱へ始めざる先に、南無妙法蓮華経と高声によばはりて二十余年をふる間、或は罵られ、打たれ、或は疵をかうほり、或は流罪に二度、死罪に一度定められぬ。其の外の大難数をしらず。譬へば大湯に大豆を漬し、小水に大魚の有るが如し。経に云はく「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」と。又云はく「一切世間怨多くして信じ難し」と。又云はく「諸の無智の人有りて悪口罵詈す」と。或は云はく「刀杖瓦石を加へ或は数々擯出せらる」等云云。此等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば、但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし。譬へば花さき菓ならず、雷なりて雨ふらざらんが如し。仏の金言空しくして、正直の御経に大妄語を雑へたるなるべし。此等を以て思ふに恐らくは天台・伝教の聖人にも及ぶべし。又老子・孔子をも下しぬべし。日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱へたり。これは須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露なり。二人三人十人百人、一国二国六十六箇国、已に島二つにも及びぬらん。今は謗ぜし人々も唱へ給ふらん。又上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品の如く、一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん。木はしづかならんと思へども風やまず。
 

平成新編御書 ―968㌻―

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