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『報恩抄』


(★1018㌻)
 大講堂もやけぬ。現身に無間地獄をかんぜり。但中堂計りのこれり。弘法大師も又跡なし。弘法大師の云はく「東大寺の受戒せざらん者をば東寺の長者とすべからず」等、御いましめの状あり。しかれども寛平の法王は仁和寺を建立して東寺の法師をうつして、我が寺には叡山の円頓戒を持たざらん者をば住せしむべからずと、宣旨分明なり。されば今の東寺の法師は、鑑真が弟子にもあらず、弘法の弟子にもあらず、戒は伝教の御弟子なり。又伝教の御弟子にもあらず、伝教の法華経を破失す。去ぬる承和二年三月廿一日に死去ありしかば、公家より遺体をばほらせ給ひ、其の後誑惑の弟子等集りて御入定と云云。或はかみをそりてまいらするぞといゐ、或は三鈷をかんどよりなげたりといゐ、或は日輪夜中に出でたりといゐ、或は現身に大日如来となり給ふといゐ、或は伝教大師に十八道ををしえまいらせたりといゐて師の徳をあげて智慧にかへ、我が師の邪義を扶けて王臣を誑惑するなり。又高野山に本寺・伝法院といヽし二つの寺あり。本寺は弘法のたてたる大塔大日如来なり。伝法院と申すは正覚房が立てし金剛界の大日なり。此の本末の二寺昼夜に合戦あり。例せば叡山・園城のごとし。誑惑のつもりて日本に二つの禍の出現せるか。糞を集めて栴檀となせども、焼く時は但糞のかなり。大妄語を集めて仏とがうすれども、但無間大城なり。尼犍が塔は、数年が間利生広大なりしかども、馬鳴菩薩の礼をうけて忽ちにくづれぬ。鬼弁婆羅門がとばりは、多年人をたぼらかせしかども、阿湿縛窶沙菩薩にせめられてやぶれぬ。(牛+句)留外道は石となって八百年、陳那菩薩にせめられて水となりぬ。道士は漢土をたぼらかすこと数百年、摩騰・竺蘭にせめられて仙経もやけぬ。趙高が国をとりし、王莽が位をうばいしがごとく、法華経の位をとて大日経の所領とせり。法王すでに国に失せぬ、人王あに安穏ならんや。日本国は慈覚・智証・弘法の流れなり、一人として謗法ならざる人はなし。
  但し事の心を案ずるに、大荘厳仏の末、一切明王仏の末法のごとし。
 

平成新編御書 ―1018㌻―

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