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『報恩抄』


(★1035㌻)
 此の人の云はく、如来の聖教に大あり小あり顕あり密あり権あり実あり。迦葉・阿難等は一向に小を弘め、馬鳴・竜樹・無著・天親等は権大乗を弘めて実大乗の法華経をば、或は但指をさして義をかくし、或は経の面をのべて始中終をのべず、或は迹門をのべて本門をあらはさず、或は本迹あって観心なしといゐしかば、南三北七の十流が末、数千万人時をつくりどっとわらふ。世の末になるまヽに不思議の法師も出現せり。時にあたりて我等を偏執する者はありとも、後漢の永平十年丁卯の歳より、今陳・隋にいたるまでの三蔵人師二百六十余人を、ものもしらずと申す上、謗法の者なり悪道に堕つという者出来せり。あまりのものぐるはしさに、法華経を持て来たり給へる羅什三蔵をも、ものしらぬ者と申すなり。漢土はさてもをけ、月氏の大論師竜樹・天親等の数百人の四依の菩薩もいまだ実義をのべ給はずといふなり。此をころしたらん人は鷹をころしたるものなり。鬼をころすにもすぐべしとのヽしりき。又妙楽大師の時、月氏より法相・真言わたり、漢土に華厳宗の始まりたりしを、とかくせめしかばこれも又さはぎしなり。
  日本国には伝教大師が仏滅後一千八百年にあたりていでさせ給ひ、天台の御釈を見て欽明より已来二百六十余年が間の六宗をせめ給ひしかば、在世の外道・漢土の道士、日本に出現せりと謗ぜし上、仏滅後一千八百年が間、月氏・漢土・日本になかりし円頓の大戒を立てんというのみならず、西国の観音寺の戒壇・東国下野の小野寺の戒壇・中国大和国東大寺の戒壇は同じく小乗臭糞の戒なり、瓦石のごとし。其れを持つ法師等は野干猿猴等のごとしとありしかば、あら不思議や、法師ににたる大蝗虫、国に出現せり。仏教の苗一時にうせなん。殷の紂・夏の桀、法師となりて日本に生まれたり。後周の宇文・唐の武宗、二たび世に出現せり。仏法も但今失せぬべし、国もほろびなんと。大乗小乗の二類の法師出現せば、修羅と帝釈と、項羽と高祖と一国に並べるなるべし。諸人手をたヽき舌をふるふ。在世には仏と提婆が二つの戒壇ありてそこばくの人々死にヽき。
 

平成新編御書 ―1035㌻―

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