←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『種種御振舞御書』


(★1062㌻)
 天より明星の如くなる大星下りて、前の梅の木の枝にかゝりてありしかば、ものゝふども皆ゑんよりとびをり、或は大庭にひれふし、或は家のうしろへにげぬ。やがて即ち天かきくもりて大風吹き来たりて、江の島のなるとて空のひゞく事、大いなるつゞみを打つがごとし。
  夜明くれば十四日、卯の時に十郎入道と申すもの来たりて云はく、昨日の夜の戌の時計りにかうどのに大いなるさわぎあり。陰陽師を召して御うらなひ候へば、申せしは、大いに国みだれ候べし、此の御房御勘気のゆへなり、いそぎいそぎ召しかえさずんば世の中いかゞ候べかるらんと申せば、ゆりさせ給へ候と申す人もあり、又百日の内に軍あるべしと申しつれば、それを待つべしとも申す。依智にして二十余日、其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度、或は人をころす事ひまなし。讒言の者共の云はく、日蓮が弟子共の火をつくるなりと。さもあるらんとて日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて、二百六十余人にしるさる。皆遠島へ遣はすべし、ろうにある弟子共をば頚をはねらるべしと聞ふ。さる程に火をつくる者は持斎・念仏者が計り事なり。其の由はしげければかゝず。
  同じき十月十日に依智を立って、同じき十月二十八日に佐渡国へ著きぬ。十一月一日に六郎左衛門が家のうしろみの家より塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず、四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆる事なし。かゝる所にしきがは打ちしき蓑うちきて、夜をあかし日をくらす。夜は雪雹・雷電ひまなし、昼は日の光もさゝせ給はず、心細かるべきすまゐなり。彼の李陵が胡国に入りてがんかうくつにせめられし、法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて、面にかなやきをさゝれて江南にはなたれしも只今とおぼゆ。あらうれしや、檀王は阿私仙人にせめられて法華経の功徳を得給ひき。不軽菩薩は上慢の比丘等の杖にあたりて一乗の行者といはれ給ふ。今日蓮は末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてかゝるせめにあへり。仏滅度後二千二百余年が間、恐らくは天台智者大師も「一切世間多怨難信」の経文をば行じ給はず。
 

平成新編御書 ―1062㌻―

provided by