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『種種御振舞御書』


(★1063㌻)
 「数々見擯出」の明文は但日蓮一人なり。「一句一偈我皆与授記」は我なり。「阿耨多羅三藐三菩提」は疑ひなし。相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆逹多よ。念仏者は瞿伽利尊者、持斎等は善星比丘。在世は今にあり、今は在世なり。法華経の肝心は諸法実相ととかれて、本末究竟等とのべられて候は是なり。摩訶止観第五に云はく「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる」文。又云はく「猪の金山を摺り、衆流の海に入り、薪の火を熾んにし、風の求羅を益すが如きのみ」等云云。釈の心は、法華経を教へのごとく機に叶ひて解行すれば、七つの大事出来す。其の中に天子魔とて第六天の魔王、或は国主或は父母或は妻子或は檀那或は悪人等について、或は随って法華経の行をさえ、或は違してさうべき事なり。何れの経をも行ぜよ、仏法を行ずるには分々に随って留難あるべし。其の中に法華経を行ずるには強盛にさうべし。法華経ををしへの如く時機に当たって行ずるには殊に難あるべし。故に弘決の八に云はく「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是の人に於て猶親の想を生す」等云云。釈の心は人善根を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして、人間につきて其の人をもてなし供養す。世間の人に実の僧と思はせんが為なり。例せば国主のたとむ僧をば諸人供養するが如し。されば国主等のかたきにするは、既に正法を行ずるにてあるなり。釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり。眼前に見えたり。此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば、争でか日本の主となり給ふべき。されば此の人々は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり。日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争でか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。
  かくてすごす程に、庭には雪つもりて人もかよはず、堂にはあらき風より外はをとづるゝものなし。
 

平成新編御書 ―1063㌻―

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