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『種種御振舞御書』


(★1070㌻)
 大集経に云はく「日月明を現せず四方皆亢旱す。是くの如く不善業の悪王と悪比丘と我が正法を毀壊せん」云云。仁王経に云はく「諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説く、其の王別へずして此の語を信聴せん。是を破仏法破国の因縁と為す」等云云。法華経に云はく「濁世悪比丘」等云云。経文まことならば此の国に一定悪比丘のあるなり。夫宝山には曲林をきる。大海には死骸をとゞめず。仏法の大海、一乗の宝山には、五逆の瓦礫・四重の濁水をば入るれども、誹謗の死骸と一闡提の曲林をばをさめざるなり。されば仏法を習はん人、後世をねがはん人は法華誹謗おそるべし。
  皆人をぼするやうは、いかでか弘法・慈覚等をそしる人を用ゆべきと。他人はさてをきぬ。安房国の東西の人々は此の事を信ずべき事なり。眼前の現証あり、いのもりの円頓房、清澄の西尭房・道義房、かたうみの実智房等はたうとかりし僧ぞかし。此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし。これらはさてをきぬ。円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて十巻をそらにをぼへ、五十年が間、一日一夜に二部づつよまれしぞかし。かれをば皆人は仏になるべしと云云。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが、此の人々の御臨終はよく候ひけるかいかに。日蓮なくば此の人々をば仏になりぬらんとこそをぼすべけれ。これをもってしろしめせ。弘法・慈覚等はあさましき事どもはあれども、弟子ども隠せしかば、公家もしらせ給はず。末の代はいよいよあをぐなり。あらはす人なくば未来永劫までもさであるべし。拘留外道は八百年ありて水となり、迦毘羅外道は一千年すぎてこそ其の失はあらわれしか。
  夫人身をうくる事は五戒の力による。五戒を持てる者をば二十五の善神これをまぼる上、同生同名と申して二つの天、生まれしよりこのかた、左右のかたに守護するゆへに、失なくて鬼神あだむことなし。しかるに此の国の無量の諸人なげきをなすのみならず、ゆき・つしまの両国の人皆事にあひぬ。大宰府又申すばかりなし。
 

平成新編御書 ―1070㌻―

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