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『種種御振舞御書』


(★1069㌻)
 一乗法華経をとける仏をば、真言師のはきものとりにも及ばずとかける状は、正覚房が舎利講式にあり。かゝる僻事を申す人の弟子阿弥陀堂の法印が日蓮にかつならば、竜王は法華経のかたきなり、梵釈四王にせめられなん。子細ぞあらんずらんと申せば、弟子どものいはく、いかなる子細のあるべきぞと、をこづきし程に、日蓮が云はく、善無畏も不空も雨のいのりに雨はふりたりしかども、大風吹きてありけるとみゆ。弘法は三七日すぎて雨をふらしたり。此等は雨ふらさぬがごとし。三七二十一日にふらぬ雨やあるべき。設ひふりたりともなんの不思議かあるべき。天台のごとく、千観なんどのごとく、一座なんどこそたうとけれ。此は一定やうあるべしと、いゐもあはせず大風吹き来たる。大小の舎宅・堂塔・古木・御所等を、或は天に吹きのぼせ、或は地に吹きいれ、そらには大なる光物とび、地には棟梁みだれたり。人々をもふきころし、牛馬をゝくたふれぬ。悪風なれども、秋は時なればなをゆるすかたもあり。此は夏四月なり、其の上、日本国にはふかず、但関東八箇国なり。八箇国にも武蔵・相模の両国なり。両国の中には相州につよくふく。相州にもかまくら、かまくらにも御所・若宮・建長寺・極楽寺等につよくふけり。たゞ事ともみへず。ひとへにこのいのりのゆへにやとをぼへて、わらひ口すくめせし人々も、けふさめてありし上、我が弟子どもゝあら不思議やと舌をふるう。
  本よりごせし事なれば、三度国をいさめんにもちゐずば国をさるべしと。されば同五月十二日にかまくらをいでて此の山に入る。同十月に大蒙古国よせて壱岐・対馬の二箇国を打ち取らるゝのみならず、大宰府もやぶられて少弍の入道・大友等きゝにげににげ、其の外の兵者ども其の事ともなく大体打たれぬ。又今度よせるならば、いかにも此の国よはよはと見ゆるなり。仁王経には「聖人去らん時は七難必ず起こる」等云云。最勝王経に云はく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、乃至他方の怨賊来たりて国人喪乱に遭はん」等云云。仏説まことならば、此の国一定悪人のあるを国主たっとませ給ひて、善人をあだませ給ふにや。
 

平成新編御書 ―1069㌻―

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