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『妙法比丘尼御返事』


(★1261㌻)
 父母・主君・男女・妻子・黒白等を弁へ給ふは皆教主釈尊御教の師なり。全く薬師・阿弥陀等の御教にはあらず。されば此の仏は我等がためには大地よりも厚く、虚空よりも広く、天よりも高き御恩まします仏ぞかし。かゝる仏なれば王臣万民倶に人ごとに父母よりも重んじ、神よりもあがめ奉るべし。かくだにも候はゞ何なる大科有りとも天も守護してよもすて給はじ、地もいかり給ふべからず。
  然るに上一人より下万人に至るまで阿弥陀堂を立て、阿弥陀仏を本尊ともてなす故に、天地の御いかりあるかと見え候。譬へば此の国の者が漢土・高麗等の諸国の王に心よせなりとも、此の国の王に背き候ひなば其の身はたもちがたかるべし。今日本国の一切衆生も是くの如し、西方の国主阿弥陀仏には心よせなれども、我が国主釈迦仏に背き奉る故に、此の国の守護神いかり給ふかと愚案に勘へ候。而るを此の国の人々、阿弥陀仏を或は金、或は銀、或は銅、或は木画等に志を尽くし、財を尽くし仏事をなし、法華経と釈迦仏をば或は墨画、或は木像にはくをひかず、或は草堂に造りなんどす。例せば他人をば志を重ね、妻子をばもてなして、父母におろかなるが如し。
  又真言宗と申す宗は上一人より下万民に至るまで此を仰ぐ事日月の如し。此を重んずる事珍宝の如し。此の宗の義に云はく、大日経には法華経は二重三重の劣なり。釈迦仏は大日如来の眷属なりなんど申す。此の事は弘法・慈覚・智証の迎せられし故に、今四百余年に叡山・東寺・園城・日本国の智人一同の義なり。又禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝なり。法華経等の経々は教内なり。譬へば月をさす指、渡りの後の船、彼岸に到りてなにかせん。月を見ては指は用事ならず等云云。彼の人々謗法ともをもはず習ひ伝へたるまゝに存じの外に申すなり。然れども此の言は釈迦仏をあなづり、法華経を失ひ奉る因縁となりて、此の国の人々皆一同に五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら而も罪ともしらず。
 

平成新編御書 ―1261㌻―

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