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『神国王御書』


(★1297㌻)
 其の時の天変地夭は今の代にこそにて候へども、今は亦其の代にはにるべくもなき変夭なり。第卅三代崇峻天皇の御宇より仏法我が朝に崇められて、第卅四代推古天皇の御宇に盛んにひろまり給ひき。此の時三論宗と成実宗と申す宗始めて渡りて候ひき。此の三論宗は月氏にても漢土にても日本にても大乗の宗の始めなり。故に宗の母とも、宗の父とも申す。人王三十六代に皇極天皇の御宇に禅宗わたる。人王四十代天武の御宇に法相宗わたる。人王四十四代元正天皇の御宇に大日経わたる。人王四十五代に聖武天皇の御宇に華厳宗を弘通せさせ給ふ。人王四十六代孝謙天皇の御宇に律宗と法華宗わたる。しかりといへども、唯律宗計りを弘めて、天台法華宗は弘通なし。
  人王第五十代に最澄と申す聖人あり。法華宗を我と見出だして、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗等の六宗をせめをとし給ふのみならず、漢土に大日宗と申す宗有りとしろしめせり。同じき御宇に漢土にわたりて四宗をならいわたし給ふ。所謂法華宗・真言宗・禅宗・大乗の律宗なり。しかりといへども法華宗と律宗とをば弘通ありて禅宗をば弘め給はず。真言宗をば宗の字をけづり、たゞ七大寺等の諸僧に灌頂を許し給ふ。然れども世間の人々はいかなる故という事をしらず。当時の人々の云はく、此の人は漢土にて法華宗をば委細にならいて、真言宗をばくはしく知ろし食さざりけるかとすいし申すなり。
  同じき御宇に空海と申す人漢土にわたりて真言宗をならう。しかりといへどもいまだ此の御代には帰朝なし。人王第五十一代に平城天皇の御宇に帰朝あり。五十二代嵯峨の天皇の御宇に弘仁十四年癸卯正月十九日に、真言宗の住処東寺を給ひて護国教王院とがうす。伝教大師御入滅の一年の後なり。
  人王五十四代仁明天皇の御宇に円仁和尚漢土にわたりて、重ねて法華真言の二宗をならいわたす。人王五十五代文徳天皇の御宇に仁寿と斉衡とに、金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏已上十四巻を造りて、大日経の義釈に並べて真言宗の三部とがうし、比叡山の内に総持院を建立し、真言宗を弘通する事此の時なり。
 

平成新編御書 ―1297㌻―

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