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『神国王御書』


(★1300㌻)
 天照大神は玉体に入りかわり給はざりけるか。八幡大菩薩の百王の誓ひはいかにとなりぬるぞ。其の上安徳天皇の御宇には、明雲座主御師となり、太上入道并びに一門怠状を捧げて云はく「彼の興福寺を以て藤氏の氏寺と為し、春日の社を以て藤氏の氏神と為せしが如く、延暦寺を以て平氏の氏寺と号し、日吉の社を以て平氏の氏神と号す」云云。叡山には明雲座主を始めとして三千人の大衆五壇の大法を行なひ、大臣以下家々に尊勝陀羅尼・不動明王を供養し、諸寺諸山には奉幣し、大法秘法を尽くさずという事なし。
  又承久の合戦の御時は天台座主慈円・仁和寺の御室・三井等の高僧等を相催し、日本国にわたれる所の大法秘法残りなく行なわれ給ふ。所謂承久三年辛巳四月十九日に十五壇の法を行なはる。天台座主は一字金輪法等。五月二日は仁和寺の御室、如法愛染明王法を紫宸殿にて行なひ給ふ。又六月八日御室、守護経法を行なひ給ふ。已上四十一人の高僧十五壇の大法。此の法を行なふ事は日本に第二度なり。権大夫殿は此の事を知り給ふ事なければ御調伏も行なひ給はず。又いかに行なひ給ふとも彼の法々彼の人々にはすぐべからず。仏法の御力と申し、王法の威力と申し、彼は国主なり、三界の諸王守護し給ふ。此は日本国の民なり、わづかに小鬼ぞまぼりけん。代々の所従、重々の家人なり。譬へば王威を用ひて民をせめば鷹の雉をとり、猫のねずみを食らひ、蛇がかへるをのみ、師子王の兎を殺すにてこそ有るべけれ。なにしにか、かろがろしく天神地祇には申すべき。仏菩薩をばをどろかし奉るべき。師子王が兎をとらむに精進をすべきか。たかがきじを食らはんにいのり有るべしや。いかにいのらずとも、大王の身として民を失はんには、大水の小火をけし、大風の小雲を巻くにてこそ有るべけれ。其の上大火に枯木を加ふるがごとく、大河に大雨を下すがごとく、王法の力に大法を行なひ合はせて、頼朝と義時との本命と元神とをば梵王と帝釈等に抜き取らせ給ふ。譬へば古酒に酔へる者のごとし、蛇の蝦の魂を奪ふがごとし。頼朝と義時との御魂・御名・御姓をばかきつけて諸尊諸神等の御足の下にふませまいらせていのりしかば、
 

平成新編御書 ―1300㌻―

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