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『秀句十勝抄』


(★1338㌻)
 書写せば当に千眼功徳の本・八百の名称・千二百の耳根・千二百の鼻根・千二百の舌根・千二百の身行・千二百の意浄を得べし。是を無数百千品の徳と為す。則ち能く六根の功祚を厳浄す」と。又云はく「八百の諸の名称清浄にして目明朗らかなり」と。又云はく「八百の鼻の功徳を得」と。又云はく「身行八百の功徳を逮得せん」と。首楞厳経第四に云はく「六根の中各々の功徳に千二百有り。阿難、汝復中に於て克く優劣を定めよ。眼の観見するが如き、後は暗く前は明らかなり。前の方は全く明らかに後の方は全く暗し。左右旁観すること三分の二なり。統べて所作を論ずるに功徳全からず。三分は功を言ふとも一分は徳無し。当に知るべし、眼は唯八百の功徳のみなることを。耳の周く聴くが如きは十方遺すこと無し。動は迩遥に若へ、静は辺際無し。当に知るべし、耳根の一千二百の功徳を円満することを。鼻の嗅聞の如きは出入の息に通ず。出有り入有りて中交を欠く。鼻根を験むるに三分に一を欠く。当に知るべし、鼻は唯八百の功徳のみなることを。舌の宣揚して諸の世間・出世間の智を尽くすが如きは、言には方分有れども理に窮尽無し。当に知るべし、舌根の一千二百の功徳を円満することを。身の触を覚え違順を識るが如きは、合する時は能く覚し、離るゝ中には知らず、離は一にして合は双へり。身根を験むるに三分に一を欠けり。当に知るべし、身は唯八百の功徳なることを。意の黙して十方三世の一切世間・出世間の法を容るゝが如きは、唯聖と凡とを包容して其の涯際を尽くさざること無し。当に知るべし、意根の一千二百の功徳を円満せることを○深く一門に入って能く六根をして一時に清浄ならしむ」と。大論四十に云はく「鼻・舌・身は同じく覚と称し、眼は見と称し、耳は聞と称し、意は知と称す」云云。
     即身成仏化道勝八
  謹んで法華経提婆達多品を案ずるに云はく之を略す。 当に知るべし、此の文は経の力用を顕はすことを。
 

平成新編御書 ―1338㌻―

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