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『窪尼御前御返事』


(★1367㌻)
 №0365
     窪尼御前御返事    弘安二年五月四日  五八歳
 
  御供養の物、数のまゝに慥かに給び候。当時は五月の比おひにて民のいとまなし。其の上、宮の造営にて候なり。かゝる暇なき時、山中の有様思ひやらせ給ひて送りたびて候事、御志殊にふかし。
  阿育大王と申せし王は、この天の日のめぐらせ給ふ一閻浮提を大体しろしめされ候ひし王なり。此の王は昔、徳勝とて五つになる童にて候ひしが、釈迦仏にすなごのもちゐをまいらせたりしゆへに、かゝる大王と生まれさせ給ふ。此の童はさしも心ざしなし、たわぶれなるやうにてこそ候ひしかども、仏のめでたくおはすれば、わづかの事も、ものとなりて、かゝるめでたき事候。まして法華経は仏にまさらせ給ふ事、星と月と、ともしびと日とのごとし。又御心ざしもすぐれて候。されば故入道殿も仏にならせ給ふべし。
  又一人をはするひめ御前も、いのちもながく、さひわひもありて、さる人のむすめなりときこえさせ給ふべし。当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば、父の後世をもたすくべし。から国にせいしと申せし女人は、わかなを山につみて、をひたるはわをやしなひき。天あはれみて、越王と申す大王のかりせさせ給ひしが、みつけてきさきとなりにき。これも又かくのごとし。をやをやしなふ女人なれば天もまぼらせ給ふらん、仏もあはれみ候らん。一切の善根の中に、孝養父母は第一にて候なれば、まして法華経にておはす。金のうつわものに、きよき水を入れたるがごとく、すこしももるべからず候。めでたしめでたし。恐々謹言。
   五月四日                      日蓮花押    
  くぼの尼御前御返事
 

平成新編御書 ―1367㌻―

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