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『新池殿御消息』


(★1366㌻)
 言をも惜しまず人をも憚らず「当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり」の金言を恐れて「我は是世尊の使ひなり、衆に処するに畏るゝ処無し」と云ふ文に任せていたくせむる間、「未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん」の人々争でかにくみ嫉まざらんや。されば日蓮程天神七代・地神五代・人王九十余代にいまだ此程法華経の故に三類の敵人にあだまれたる者なきなり。
  かゝる上下万人一同のにくまれ者にて候に、此まで御渡り候ひし事おぼろげの縁にはあらず。宿世の父母か、昔の兄弟にておはしける故に思ひ付かせ給ふか。又過去に法華経の縁深くして、今度仏にならせ給ふべきたねの熟せるかの故に、在俗の身として世間ひまなき人の公事のひまに思ひ出ださせ給ひけるやらん。
  其の上遠江国より甲州波木井の郷身延山へは道三百余里に及べり。宿々のいぶせさ、嶺に昇れば日月をいたゞき、谷へ下れば穴へ入るかと覚ゆ。河の水は矢を射るが如く早し。大石ながれて人馬むかひ難し。船あやうくして紙を水にひたせるが如し。男は山がつ、女は山母の如し。道は縄の如くほそく、木は草の如くしげし。かゝる所へ尋ね入らせ給ひて候事、何なる宿習なるらん。釈迦仏は御手を引き、帝釈は馬となり、梵王は身に随ひ、日月は眼となりかはらせ給ひて入らせ給ひけるにや。ありがたしありがたし。事多しと申せども此の程風おこりて身苦しく候間留め候ひ畢んぬ。
   五月二日         日蓮花押    
  新池殿御返事
 

平成新編御書 ―1366㌻―

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