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『四菩薩造立抄』


(★1368㌻)後
 №0367
     四菩薩造立抄    弘安二年五月一七日  五八歳
 
  白小袖一・薄墨の染め衣一・同色の袈裟一帖・鵞目一貫文給び候。今に始めざる御志、言を以て宣べがたし。何れの日を期してか対面を遂げ、心中の朦朧を申し披かんや。
  一、御状に云はく、本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼ねて聴聞仕り候ひき。然れば聴聞の如くんば何れの時かと云云。
  夫仏、世を去らせ給ひて二千余年に成りぬ。其の間月氏・漢土・日本国・一閻浮提の内に仏法の流布する事、僧は稲麻のごとく法は竹葦の如し。然るにいまだ本門の教主釈尊並びに本化の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し。三朝の間に未だ聞かず。日本国に数万の寺々を建立せし人々も、本門の教主・脇士を造るべき事を知らず。上宮太子は仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども、阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等の四天王を造り副へたり。伝教大師延暦寺を立て給ふに、中堂には東方の鵞王の相貌を造りて本尊として、
 

平成新編御書 ―1368㌻―

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