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『四菩薩造立抄』


(★1369㌻)
 久成の教主・脇士をば建立し給はず。南京七大寺の中にも此の事を未だ聞かず。田舎の寺々以て爾なり。
  かたがた不審なりし間、法華経の文を拝見し奉りしかば其の旨顕然なり。末法闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明なり。正像に出世せし論師人師の造らざりしは、仏の禁めを重んずる故なり。若し正法・像法の中に久成の教主釈尊並びに脇士を造るならば、夜中に日輪出で日中に月輪の出でたるが如くなるべし。末法に入って始めの五百年に、上行菩薩の出でさせ給ひて造り給ふべき故に、正法・像法の四依の論師人師は言にも出ださせ給はず。竜樹・天親こそ知らせ給ひたりしかども、口より外へ出ださせ給はず。天台智者大師も知らせ給ひたりしかども、迹化の菩薩の一分なれば一端は仰せ出ださせ給ひたりしかども、其の実義をば宣べ出ださせ給はず。但ねざめの枕に時鳥の一音を聞きしが如くにして、夢のさめて止みぬるやうに弘め給ひ候ひぬ。夫より己外の人師はまして一言をも仰せ出だし給ふ事なし。此等の論師人師は霊山にして、迹化の衆は末法に入らざらんに、正像二千年の論師人師は本門久成の教主釈尊並びに久成の脇士地涌上行等の四菩薩を影ほども申し出だすべからずと御禁めありし故ぞかし。
  今末法に入ぬれば尤も仏の金言の如きんば、造るべき時なれば本仏本脇士造り奉るべき時なり。当時は其の時に相当たれば、地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん。先づ其の程に四菩薩を建立し奉るべし。尤も今は然るべき時なりと云云。されば天台大師は「後五百歳遠く妙道に沾はん」としたひ、伝教大師は「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是其の時なり」と恋ひさせ給ふ。日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり。是時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり、感涙押さへ難く、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。恐らくは付法蔵の人々も日蓮には果報は劣らせ給ひたり。天台智者大師・伝教大師等も及び給ふべからず。最も四菩薩を建立すべき時なり云云。
 

平成新編御書 ―1369㌻―

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