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『盂蘭盆御書』
(★1376㌻)
あまさへほうぜんとせしかば大苦をまし給ひき。いまの僧等の二百五十戒は名計りにて、事をかいによせて人をたぼらかし、一分の神通もなし。大石の天にのぼらんとせんがごとし。智慧は牛にるいし、羊にことならず。設ひ千万人をあつめたりとも父母の一苦すくうべしや。
せんずるところは目連尊者が乳母の苦をすくわざりし事は、小乗の法を信じて二百五十戒と申す持斎にてありしゆへぞかし。されば浄名経と申す経には浄名居士と申す男、目連房をせめて云はく「汝を供養する者は三悪道に堕つ」云云。文の心は、二百五十戒のたうとき目連尊者をくやうせん人は三悪道に堕つべしと云云。此又唯目連一人がきくみゝにはあらず、一切の声聞乃至末代の持斎等がきくみゝなり。此の浄名経と申すは法華経の御ためには数十番の末の郎従にて候。詮ずるところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし。自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし。いわうや他人をや。
しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて「正直捨方便」とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ。故に法華経に云はく「我が願ひ既に満じて衆の望みも亦足りなん」云云。目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心、仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。
例せば日本国八十一代の安徳天皇と申せし王の御宇に平氏の大将安芸守清盛と申せし人をはしき。度々の合戦に国敵をほろぼして上大政大臣まで臣位をきわめ、当今はまごとなり、一門は雲客月につらなり、日本六十六国島二つを掌の内にかいにぎりて候ひしが、人を順ふること大風の草木をなびかしたるやうにて候ひしほどに、心をごり身あがり、結句は神仏をあなづりて神人と諸僧を手ににぎらむとせしほどに、山僧と七寺との諸僧のかたきとなりて、結句は去ぬる治承四年十二月二十二日に、七寺の内の東大寺・
平成新編御書 ―1376㌻―
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