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『盂蘭盆御書』
(★1377㌻)
興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば、其の大重罪入道の身にかゝりて、かへるとし養和元年潤二月四日、身はすみのごとく血は火のごとく、すみのをこれるがやうにて、結句は炎身より出でてあつちじにゝ死にゝき。其の大重罪をば二男宗盛にゆづりしかば、西海に沈むとみへしかども東天に浮かび出でて、右大将頼朝の御前に縄をつけてひきすへて候ひき。三男知盛は海に入りて魚の糞となりぬ。四男重衡は其の身に縄をつけて京かまくらを引きかへし、結句なら七大寺にわたされて、十万人の大衆等、我等が仏のかたきなりとて一刀づつききざみぬ。悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。
目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給ふ。乃至代々の子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるゝのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。故に法華経の第三に云はく「願はくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云。
されば此等をもって思ふに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり。二百五十戒一戒も持つことなし。三千の威儀一つも持たず。智慧は牛馬にるいし、威儀は猿猴ににて候へども、あをぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。例せば蛇の珠をにぎり、竜の舎利を戴けるがごとし。
藤は松にかゝりて千尋をよぢ、鶴は羽を持ちて万里をかける。此は自身の力にはあらず。治部房も又かくのごとし。我が身は藤のごとくなれども、法華経の松にかゝりて妙覚の山にものぼりなん。一乗の羽をたのみて寂光の空をもかけりぬべし。此の羽をもて父母・祖父・祖母・乃至七代の末までもとぶらうべき僧なり。あわれいみじき御たからはもたせ給ひてをはします女人かな。彼の竜女は珠をさゝげて仏となり給ふ。此の女人は孫を法華経の行者となしてみちびかれさせ給ふべし。
平成新編御書 ―1377㌻―
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