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『三世諸仏総勘文教相廃立』
(★1409㌻)
故に権をば権と読む。権なる事の手本には夢を以て本と為す。又実を実と読む。実事の手本は寤なり。故に生死の夢は権にして性体無ければ権なる事の手本なり。故に妄想と云ふ。本覚の寤は実にして生滅を離れたる心なれば真実の手本なり。故に実相と云ふ。是を以て権実の二字を糾して一代聖教の化他の権と自行の実との差別を知るべきなり。故に四教の中には前の三教と、五時の中には前の四時と、十法界の中には前の九法界は同じく皆夢中の善悪の事を説くなり。故に権教と云ふ。此の教相をば無量義経に「四十余年未顕真実」と説きたまふ已上。未顕真実の諸経は夢中の権教なり。故に釈籖に云はく「性は殊なること無しと雖も必ず幻に藉りて幻の機と幻の感と幻の応と幻の赴とを発こす。能応と所化と並びに権実に非ず」已上。此皆夢幻の中の方便の教なり。「性は殊なること無しと雖も」等とは、夢見る心性と寤の時の心性とは只一の心性にして、総て異なること無しと雖も、夢の中の虚事と寤の時の実事と、二事一の心法なるを以て、見ると思ふも我が心なりと云ふ釈なり。故に止観に云はく「前の三教の四弘、能も所も泯す」已上。四弘とは、衆生の無辺なるを度せんと誓願し、煩悩の無辺なるを断ぜんと誓願し、法門の無尽なるを知らんと誓願し、無上菩提を証せんと誓願す。此を四弘と云ふ。能とは如来なり、所とは衆生なり。此の四弘は能の仏も所の衆生も、前三教は皆夢中の是非なりと釈し給へるなり。然れば法華以前の四十二年の間の説教たる諸教は、未顕真実の権教なり方便なり。法華に取り寄るべき方便なるが故に真実には非ず。此は仏自ら四十二年の間説き集め給ひて後に、今法華経を説かんと欲して、先づ序分の開経の無量義経の時、仏自ら勘文し給へる教相なれば、人の語も入るべからず、不審をも生すべからず。故に玄義に云はく「九界を権と為し、仏界を実と為す」已上。九法界の権は四十二年の説教なり。仏法界の実は八箇年の説、法華経是なり。故に法華経を仏乗と云ふ。九界の生死は夢の理なれば権教と云ひ、仏界の常住は寤の理なれば実教と云ふ。故に五十年の説教、一代の聖教、一切の諸経は、化他の四十二年の権教と自行の八箇年の実教と合して五十年なれば、権と実との二の文字を以て鏡に懸けて陰無し。
故に三蔵教を修行すること三僧百大劫を歴て終はりに仏に成らんと思へば、
平成新編御書 ―1409㌻―
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