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『中興入道御消息』


(★1433㌻)
 月は雲かくせども又はるゝことはりなれば、科なき事すでにあらわれて、いゐし事もむなしからざりけるかのゆへに、御一門諸大名はゆるすべからざるよし申されけれども、相模守殿の御計らひばかりにて、ついにゆり候ひてのぼりぬ。たゞし日蓮は日本国には第一の忠の者なり。肩をならぶる人は先代にもあるべからず、後代にもあるべしとも覚えず。其の故は去ぬる正嘉年中の大地震、文永元年の大長星の時、内外の智人其の故をうらなひしかども、なにのゆへ、いかなる事の出来すべしと申す事をしらざりしに、日蓮一切経蔵に入りて勘へたるに、真言・禅宗・念仏・律等の権小の人々をもつて法華経をかろしめたてまつる故に、梵天・帝釈の御とがめにて、西なる国に仰せ付けて、日本国をせむべしとかんがへて、故最明寺入道殿にまいらせ候ひき。此の事を諸道の者をこずきわらひし程に、九箇年すぎて去ぬる文永五年に、大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状わたりぬ。此の事のあふ故に、念仏者・真言師等はあだみて失はんとせしなり。例せば、漢土に玄宗皇帝と申せし御門の御后に、上陽人と申せし美人あり。天下第一の美人にてありしかば、楊貴妃と申すきさきの御らんじて、此の人、王へまいるならば我がをぼへをとりなんとて、宣旨なりと申しかすめて、父母兄弟をば或はながし、或は殺し、上陽人をばろうに入れて四十年までせめたりしなり。此もそれににて候。日蓮が勘文あらわれて、大蒙古国を調伏し、日本国かつならば、此の法師は日本第一の僧となりなん。我等が威徳をとろうべしと思ふかのゆへに、讒言をなすをばしろしめさずして、彼等がことばを用ひて国を亡ぼさんとせらるゝなり。例せば、二世王は趙高が讒言によりて李斯を失ひ、かへりて趙高が為に身をほろぼされ、延喜の御門はじへいのをとゞの讒言によりて、菅丞相を失ひて地獄におち給ひぬ。此も又かくの如し。法華経のかたきたる真言師・禅宗・律僧・持斎・念仏者等が申す事を御用ひありて、日蓮をあだみ給ふゆへに、日蓮はいやしけれども、所持の法華経を釈迦・多宝・十方の諸仏・梵天・帝釈・日月・四天・竜神・天照太神・八幡大菩薩、人の眼をおしむがごとく、諸天の帝釈をうやまうがごとく、
 

平成新編御書 ―1433㌻―

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