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『中興入道御消息』


(★1432㌻)
 値ふ人、聞く人耳をふさぎ、眼をいからかし、口をひそめ、手をにぎり、はをかみ、父母・兄弟・師匠・ぜんうもかたきとなる。後には所の地頭・領家かたきとなる。後には一国さはぎ、後には万人をどろくほどに、或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ、或は悪口のためにとなへ、或は信ずるに似て唱へ、或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経、のこりの九分は或は両方、或はうたがひ、或は一向念仏者なる者は、父母のかたき、主君のかたき、宿世のかたきのやうにのゝしる。村主・郷主・国主等は謀叛の者のごとくあだまれたり。かくの如く申す程に、大海の浮木の風に随ひて定めなきが如く、軽毛の虚空にのぼりて上下するが如く、日本国ををはれあるく程に、或時はうたれ、或時はいましめられ、或時は疵をかほふり、或時は遠流、或時は弟子をころされ、或時はうちをはれなんどする程に、去ぬる文永八年九月十二日には御かんきをかほりて、北国佐渡の島にうつされて候ひしなり。世間には一分のとがもなかりし身なれども、故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を地獄に墜ちたりと申す法師なれば、謀叛の者にもすぎたりとて、相州鎌倉竜口と申す処にて頚を切らんとし候ひしが、科は大科なれども、法華経の行者なれば左右なくうしなひなば、いかんがとやをもはれけん。又遠国の島にすてをきたるならば、いかにもなれかし。
  上ににくまれたる上、万民も父母のかたきのやうにおもひたれば、道にても又国にても、若しはころすか、若しはかつえしぬるかにならんずらんとあてがはれて有りしに、法華経十羅刹の御めぐみにやありけん、或は天とがなきよしを御らんずるにやありけん。島にてあだむ者は多かりしかども、中興の次郎入道と申せし老人ありき。彼の人は年ふりたる上、心かしこく身もたのしくて、国の人にも人とをもはれたりし人の、此の御房はゆへある人にやと申しけるかのゆへに、子息等もいたうもにくまず。其の已下の者どもたいし彼等の人々の下人にてありしかば、内々あやまつ事もなく、唯上の御計らひのまゝにてありし程に、水は濁れども又すみ、
 

平成新編御書 ―1432㌻―

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