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『上野殿御返事』


(★1496㌻)
 №0421
     上野殿御返事    弘安三年九月六日  五九歳
 
  南条七郎五郎殿の御死去の御事、人は生まれて死するならいとは、智者も愚者も上下一同に知りて候へば、始めてなげくべしをどろくべしとわをぼへぬよし、我も存じ人にもをしへ候へども、時にあたりてゆめかまぼろしか、いまだわきまへがたく候。まして母のいかんがなげかれ候らむ。父母にも兄弟にもをくれはてゝ、いとをしきをとこにすぎわかれたりしかども、子どもあまたをはしませば、心なぐさみてこそをはし候らむ。いとをしきてこゞ、しかもをのこゞ、みめかたちも人にすぐれ、心もかいがいしくみへしかば、よその人々もすゞしくこそみ候ひしに、あやなくつぼめる花の風にしぼみ、満月のにわかに失せたるがごとくこそをぼすらめ。まことゝもをぼへ候はねば、かきつくるそらもをぼへ候はず。又々申すべし。恐々謹言。
   九月六日                      日蓮花押    
  上野殿御返事
    追申。此の六月十五日に見奉り候ひしに、あはれ肝ある者かな、男なり男なりと見候ひしに、又見候はざらん事こそかなしくは候へ。さは候へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。心は父君と一所に霊山浄土に参りて、手をとり頭を合はせてこそ悦ばれ候らめ。あはれなり、あはれなり。
 

平成新編御書 ―1496㌻―

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