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『諌暁八幡抄』


(★1541㌻)
 大小は異なれども法華経へ入れんと思ふ志は是一なり。されば無量義経に大を破して云はく「未顕真実」と。法華経に云はく「此の事は為めて不可なり」等云云。仏自ら云はく「我世に出でて華厳・般若等を説きて法華経をとかずして入涅槃せば、愛子に財ををしみ、病者に良薬をあたへずして死したるがごとし」と。仏自ら記して云はく「地獄に堕つべし」と云云。不可と申すは地獄の名なり。況んや法華経の後、爾前の経に著して法華経へうつらざる者は、大王に民の従がはざるがごとし、親に子の見へざるがごとし。設ひ法華経を破せざれども、爾前の経々をほむるは法華経をそしるに当たれり。妙楽云はく「若し昔を称歎せば豈今を毀るに非ずや」文。又云はく「発心せんと欲すと雖も偏円を簡ばず、誓いの境を解らざれば未来に法を聞くとも何ぞ能く謗を免れん」等云云。真言の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は、設ひ法華経を大日経に相対して勝劣を論ぜずして大日経を弘通すとも、滅後に生まれたる三蔵・人師なれば謗法はよも免れ候はじ。何に況んや善無畏等の三三蔵は、法華経は略説、大日経は広説と同じて、而も法華経の行者を大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論なんどとかゝれて候を、大科を明らめずして此の四百余年一切衆生皆謗法の者となりぬ。例せば大荘厳仏の末の四比丘が六百万億那由他の人を皆無間地獄に堕とせると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に導きしと、今の三大師の教化に随ひて、日本国四十九億九万四千八百二十八人或は云はく、日本記に行基数へて云はく、男女四十五億八万九千六百五十九人と云云。の一切衆生、又四十九億等の人々、四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば、其の後他方世界よりは生まれて又死して無間地獄に堕ちぬ。かくのごとく堕つる者大地微塵よりも多し。此皆三大師の科ぞかし。此を日蓮此等を大いに見ながらいつわりをろかにして申さずば、倶に堕地獄の者となて、一分の科なき身が十方の大阿鼻地獄を経めぐるべし。いかでか身命をすてざるべき。涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云。日蓮が云はく、
 

平成新編御書 ―1541㌻―

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