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『上野尼御前御返事』


(★1576㌻)
 剣と成って天より雨り下る。汝が不孝極り無かりしかども、我が遺言を違へざりし故に、自業自得果うらみがたかりし所に、金色の仏一体無間地獄に出現して、仮使法界に遍せる断善の諸の衆生、一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん云云。此の仏無間地獄に入り給ひしかば、大水を大火になげたるが如し。少し苦しみやみぬる処に、我合掌して仏に問ひ奉りて、何なる仏ぞと申せば、仏答へて、我は是汝が子息遺竜が只今書くところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字なりと言ふ。八巻の題目は八八六十四の仏・六十四の満月と成り給へば、無間地獄の大闇即大明となりし上、無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ。我及び罪人とは皆蓮の上の仏と成りて只今都率の内院へ上り参り候が、先づ汝に告ぐるなりと云云。遺竜が云はく、我が手にて書きけり、争でか君たすかり給ふべき。而も我が心よりかくに非ず、いかにいかにと申せば父答へて云はく、汝はかなし、汝が手は我が手なり。汝が身は我が身なり。汝が書きし字は我が書きし字なり。汝心に信ぜざれども手に書く故に既にたすかりぬ。譬へは小児の火を放つに心にあらざれども物を焼くが如し。法華経も亦かくの如し。存の外に信を成せば必ず仏になる。又其の義を知りて謗ずる事無かれ。但し在家の事なれば、いひしこと故に大罪なれども懺悔しやすしと云云。此の事を大王に申す。大王の言はく、我が願既にしるし有りとて遺竜弥朝恩を蒙り、国又こぞって此の御経を仰ぎ奉る。
  然るに故五郎殿と入道殿とは尼御前の父なり子なり。尼御前は彼の入道殿のむすめなり。今こそ入道殿は都率の内院へ参り給ふらめ。此の由をはわきどのよみきかせまいらせさせ給ひ候へ。事々そうそうにてくはしく申さず候。恐々謹言。
   十一月十五日                    日蓮花押    
  上野尼ごぜん御返事
 

平成新編御書 ―1576㌻―

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