←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『法華証明抄』


(★1591㌻)
 経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候ける者が、法華経計りをば用ひまいらせず候ひけれども、仏くやうの功徳莫大なりければ、謗法の罪に依りて貧賤の身とは生まれて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候。此をば天台の御釈に云はく「人の地に倒れて還って地より起つが如し」等云云。地にたうれたる人はかへりて地よりをく。法華経謗法の人は三悪並びに人天の地にはたうれ候へども、かへりて法華経の御手にかゝりて仏になるとことわられて候。
  しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生まれて悪人とは申すべけれども心は善人なり。其の故は、日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば或は所領或は田畠等にわづらいをなし、結句は命に及ぶ人々もあり。信じがたき上、ちゝ・故上野は信じまいらせ候ひぬ。又此の者嫡子となりて、人もすゝめぬに心中より信じまいらせて、上下万人に、あるひはいさめ或はをどし候ひつるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神めらめ此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこあなかしこ。此の人のやまいを忽ちになをして、かへりてまぼりとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破七分の科に行はれ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとゞめよ永くとゞめよ。日蓮が言をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし。
   二月二十八日
  伯耆房に下す
 

平成新編御書 ―1591㌻―

provided by