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『三種教相』


(★1604㌻)
 籖の三に云はく「若し祗但四教の中の円を判じて之を名づけて妙と為ば、諸経に皆是くの如きの円の義有り。何ぞ妙と称せざらん。故に須く復た更に部に約し味に約し、方に今の経の教円部円を顕はす。若し教に約せずんば則ち教の妙なることを知らず。若し味に約せずんば部の妙なることを知らず」と。
 玄の三に云はく「当に知るべし、勝鬘の所説は次第を説いて浅きより深きに至れり。歴別して未だ融せず。乃ち是無量の四諦の中の無作なり。是発心畢竟二不別の無作に非ず」文。
 籖の三に云はく「此は是別教教道の説。初発心畢竟二不別に非ず」文。
  二に化導の始終不始終の相
 玄の一に云はく「又異をいはゞ余教は機に当たって物を益す。如来施化の意を説かず。此の経には仏の教を設けたまふ元始巧みに衆生の為に頓・漸・不定・顕密の種子を作し、中間に頓・漸の五味を以て調伏し長養して之を成熟し、又頓・漸の五味を以て之を度脱することを明かす。並びに脱し、並びに熟し、並びに種すること番々に息まず。大勢威猛三世に物を益す、具に信解品の中に説くが如し。余経と異なるなり」文。籖の一に云はく「次に此の経より下は正しく今の経の意を明かす。且く迹中の大通を指して首めと為す。漸及び不定に寄すと雖も、余経を以て種と為さず、故に巧為と云ふ。結縁己後大を退して初めに迷ふ、故に復更に七教の中に於て調停の種を下せるを復巧為と云ふ。所以に中間に七教を受くることを得て長養し調伏せり」文。又云はく「又以より下は今世に復た七教を以て調伏して、法華に至て得度せしむことを明かす。故に度脱と云ふなり。並びに脱等とは多人に約して説く。彼に於ては是種なり。此に於ては是熟なり。互ひに説くこと知んぬべし。是の故に並びに及び番々不息と云ふ。此即ち初め及以中間今日等の相を結するなり。故に更に涌出を引いて迹の文を助顕す」文。又云はく「次に信解を指すことをいはゞ、即ち信解の中に、又以他日於窓中と云へり。
 

平成新編御書 ―1604㌻―

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