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『就註法華経口伝』


(★1765㌻)後
 総じて伏惑を以て寿量品の極とせず、唯凡夫の当体本有の儘を此の品の極理と心得べきなり。無作の三身の所作は何物ぞと云ふ時、南無妙法蓮華経なり云云。
    第二 如来秘密神通之力の事
  御義口伝に云はく、無作三身の依文なり。此の文に於て重々の相伝之有り。神通之力とは我等衆生の作々発々と振る舞ふ処を神通と云ふなり。獄卒の罪人を呵責する音も皆神通之力なり。生住異滅森羅三千の当体悉く神通之力の体なり。今日蓮等の類の意は、即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云ふなり。成仏するより外の神通と秘密とは之無きなり。此の無作の三身をば一字を以て得たり。所謂信の一字なり。仍って経に云はく「我等当信受仏語」と。信受の二字に意を留むべきなり。
    第三 我実成仏已来無量無辺等の事
  御義口伝に云はく、我とは釈尊久遠実成道なりと云ふ事を説かれたり。然りと雖も当品の意は、我とは法界の衆生なり。十界己々を指して我と云ふなり。実とは無作の三身の仏なりと定めたり。此を実と云ふなり。成とは能成所成なり。或は開く義なり。法界無作の三身の仏なりと開きたり。仏とは是を覚知するを云ふなり、已とは過去なり、来とは未来なり。已来の言の中に現在は有るなり。我実と成けたる仏にして已も来も無量なり、無辺なり。百界千如一念三千と説かれたり。百千と云ふ二字は、百は百界、千は千如なり。是即ち事の一念三千なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は寿量品の本主なり。総じては迹化の菩薩此の品に手をつけいろうべきに非ざる者なり。彼は迹表本裏、此は本面迹裏なり。然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか。其の故は此の品は在世の脱益なり。題目の五字計り当今の下種なり。然れば在世は脱益、滅後は下種なり。
 

平成新編御書 ―1765㌻―

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