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『就註法華経口伝』


(★1774㌻)
 解とは事顕本を解するなり。此の事理の顕本を一念に信解するなり。一念とは無作本有の一念なり。此くの如く信解する人の功徳は限量有る事有るべからざるなり。信の処に解あり、解の処に信あり。然りと雖も信を以て成仏を決定するなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者是なり云云。
    第二 是則能信受如是諸人等頂受此経典の事
  御義口伝に云はく、法華経を頭に頂くと云ふ文なり。如是諸人等の文は広く一切衆生に亘るなり。然れば三世十方の諸仏も妙法蓮華経を頂き受けて成仏し玉へり。仍って上の寿量品の題目を妙法蓮華経と題して次に如来と題したり。秘すべし云云。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは此の故なり云云。
    第三 仏子住此地則是仏受用の事
  御義口伝に云はく、此の文を自受用の明文と云へり。此地とは無作の三身の依地なり、仏子とは法華経の行者なり。仏子は菩薩なり、法華の行者は菩薩なり、住とは信解の義なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は妙法の地に住するなり。仏の受用の身なり。深く之を案ずべし云云。
 
    随喜品二箇の大事
    第一 妙法蓮華経随喜功徳の事
  御義口伝に云はく、随とは事理に随順するを云ふなり、喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百塵点の事顕本に随順するなり、理とは理顕本に随ふなり。所詮寿量品の内証に随順するを随とは云ふなり。然るに自他共に智慧と慈悲有るを喜とは云ふなり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、
 

平成新編御書 ―1774㌻―

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