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『就註法華経口伝』


(★1775㌻)
 必ず無作三身の仏に成るを喜とは云ふなり。然る間随とは法に約し、喜とは人に約するなり。人とは五百塵点の古仏たる釈尊、法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり。是に喜び随ふを随喜とは云ふなり。総じて随とは信の異名なり云云。唯信心の事を随と云ふなり。されば二の巻に「此の経に随順す。己が智分に非ず」と説かれたり云云。
    第二 口気無臭穢土優鉢華之香常従其口出の事
  御義口伝に云はく、口気とは題目なり、無臭穢土とは弥陀等の権教方便無得道の聖教を交へざるなり、優鉢華之香とは法華経なり。末法の今は題目なり、方便品の如優曇鉢華の事の一念三千と云へり。之を案ずべし。常とは三世常住なり、其口とは法華の行者の口なり、出とは南無妙法蓮華経なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは常従其口出なり云云。
 
    法師功徳品四箇の大事
    第一 法師功徳の事
  御義口伝に云はく、法師とは五種の法師なり、功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。されば妙法蓮華経の法の師と成りて大きなる徳有るなり。功も幸と云ふ事なり。又は悪を滅するを功と云ひ、善を生ずるを徳と云ふなり。功徳とは即身成仏なり、又六根清浄なり。法華経の説の文の如く修行するを六根清浄と意得べきなり云云。
    第二 六根清浄の事
  御義口伝に云はく、眼の功徳とは、法華不信の者は無間に堕在し、
 

平成新編御書 ―1775㌻―

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