仏法の目的は成仏にあり

先日訪問した先は浄土真宗の家だった。

仏壇があったので、感心した。
「神仏を尊ぶあなたの志は大変立派です」

「しかし、
阿弥陀様はこの世にお出ましになったことがない仏様です。
全ての人を救ってくれるという有り難い阿弥陀様はどういう仏様かというと
お釈迦様の御説法の、例え話の中に出てきた仏様なんですよ。
だから本当の仏様はお釈迦様なんです。

お釈迦様は本当にインドにお生まれになって修行して成仏された方です。(難しい言葉で八相成道といいますよ)
自分が悟られた法を人々へ説くためにたくさんの例え話をされましたが、阿弥陀様も大日如来も、薬師如来もその他ありとあらゆる仏菩薩様はお釈迦様が悟られた成仏の法を説くための準備段階としてといた例え話に登場する仏様なんです。
例えば建物を造るのに足場を組みますでしょ? 建物が出来上がってからもそのまま足場を残しておくなんて事がありますか?
それと同じように、お釈迦様は成仏の法を説きたかったのであって、阿弥陀様がお釈迦様よりも尊い仏様だから崇めなさいなんて言っていないんですよ。
だから一番大事なのお釈迦様であり、もっと突き詰めて言うと、お釈迦様が成仏することが出来た「法」です。
日蓮大聖人様はその「法」こそが「南無妙法蓮華経」なのだ、と私達に教えて下さっています。
この南無妙法蓮華経を唱えれば極楽浄土へ行かずとも、今世のこの身このままで成仏出来るんですよ。

大体、阿弥陀様におすがりしても阿弥陀様そのものには成れませんよ。
仏法は成仏することが、仏に成ることが最終目的なんですから、浄土真宗の教えでは絶対成仏することは出来ません。

お宅様はお仏壇を安置して、お供えもちゃんとしているようだから、さぞ信心深い方とお見受けしました。

でも、とっても惜しいことに、阿弥陀様では成仏出来ません。
ですから、今度私の所へ、お題目をあげにきませんか。
必ず大きな功徳を積むことが出来ますよ。
ね、 是非いらっしゃいな。」

と言うようなことをお話しした。

『星名五郎太郎殿御返事』に、
凡そ仏法と云ふは、善悪の人をゑらばず、皆仏になすを以て最第一に定むべし。是程の理をば何なる人なりとも知るべきなり。(星名五郎太郎殿御返事 新編御書364

とあり、当然ながら仏法は成仏が目的であることを御示しです。

『無量義経 説法品』に

善男子、我先に道場菩提樹下に、端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん。諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、 方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。 是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。(開結23頁)

とあり、法華経以前に説かれた教えは全て方便の例え話であったことが明白です。

しかも、『法華経 譬喩品』に、
但楽って 大乗経典を受持して 乃至 余経の一偈をも受けざる有らん 是の如きの人に 乃ち為に説くべし(開結138
とあって、(成仏の教えを説く)法華経を信ずる態度は、「不受余経一偈」法華経以外の他の教え一句たりとも交えずに信じなければならない
とお釈迦様自らが言っておられるのです。
これはつまり、阿弥陀仏とか他の仏菩薩を捨て、南無妙法蓮華経の法華経――末法に於ては御本仏宗祖日蓮大聖人が御図顕された大曼荼羅を成仏の御本尊と崇めることが、真の仏法の利益・成仏の方法なのです。

如何に立派な仏菩薩を掲げようとも、その金ぴかな仏菩薩に私達が成れるわけがない。仏法はおすがりするのではない。仏法は自らが仏になることが最終目的なのです。

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