玄義釈籤に云く
法譬二周之得益徒莫非往日結縁之輩。以退大流転。故惑寂理而耽無明酒。以失大悲心。故迷妙因謂生死曠遠。
法譬の二周に得益の徒は、往日の結縁の輩に非ざるは莫し。大を退して流転するを以て、故に寂の理に惑うて、無明の酒に耽る。大悲の心を失うを以て、故に妙因に迷って生死曠遠と謂う (釈籤 天全一―六一・玄会上二〇・博四一)
法華経を聞いて得脱する人に①法説周・②譬説周・③因縁説周の三層に分かれます。①は法を聞いただけで分かった人、これは舎利弗だけです。②は例え話で分かった人これは須菩提などの四人です。③は富楼那等の大勢です。
さて①と②は過去世に元々仏様との結縁があって、今世に釈尊と生まれ合わせたのですが、折角植えられた仏種を開花させず、勝れた妙法から退転して、成仏という境界を疑い、様々な価値観に流されてしまった。慈悲とは抜苦与楽という意義ですが、大悲、即ち他人を救おうとする心を失って、妙法の根源を見失い、自分だけ悟れれば良いという利己的二乗根性に堕してしまったが故に結果的に妙法から離れてしまいました。それで長く六道を輪廻し、悟りの世界は遠いものと見たり、円満な教えは円満でない教えをも包含するのに、それらは別物と見たりしてたのでした。
妙因、即ち妙法の根源とは日蓮大聖人の顕された三大秘法の大御本尊のことであります。この大御本尊の大功徳力によって万民は救われるというのに、それを見失ってしまったのでは、自分は勿論、他人も救う事が出来なくなるのです。
このような天台・妙楽の言葉からも、化他、即ち折伏の重要性は法体に直結する欠くべからざる要素であると言えます。

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