嘘も方便

妙法尼御前御返事

 一代の聖教いづれもいづれも、をろかなる事は候はず。皆我等が親父、大聖教主釈尊の金言なり。皆真実なり。皆実語なり。其の中にをいて又小乗・大乗、顕教・密教、権大乗・実大乗あいわかれて候。仏説と申すは二天・三仙・外道・道士の経々にたいし候へば、此等は妄語、仏説は実語にて候。此の実語の中に妄語あり、実語あり、綺語も悪口もあり。其の中に法華経は実語の中の実語なり。真実の中の真実なり。真言宗と華厳宗と三論と法相と倶舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は実語の中の妄語より立て出だせる宗々なり。法華宗は此等の宗々にはにるべくもなき実語なり。法華経の実語なるのみならず、一代妄語の経々すら法華経の大海に入りぬれば、法華経の御力にせめられて実語となり候。いわうや法華経の題目をや。白粉の力は漆を変じて雪のごとく白くなす。須弥山に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号を持つ人は、一生乃至過去遠々劫の黒業の漆変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり。

(新編御書1483

お釈迦様の説法にウソはありません。すべて正しい。仏教以外の宗教の説く所に比べれば。
でもお釈迦様の説法の中でも、いろいろ小乗・大乗、顕教・密教、権大乗・実大乗と分かれています。小乗は自分だけ救われればよいとして、大乗の教えのように他の人も一緒に幸せになろうという点に欠けています。
顕教はお経としてお釈迦様が説いた教えで、密教は法身の大日如来が説いた教えでお釈迦様の説法。
(だから密教の法が勝れる――、と密教の人は言うが、法身大日如来とは釈尊の教えがこの上なく勝れていることを人格的に譬喩として表現したものであって、釈尊を離れて別個に大日如来が存在するという主張は邪義である)。
権大乗というのは、「権」とは「仮」の意味にして、実大乗たる法華経以外の大乗教を言います。
お釈迦様は19歳で出家、30歳で成道し、80歳で入滅、お亡くなりになりました。法華経は72歳から80歳に渡って説かれた教えですが、真言や浄土、華厳禅律等のすべては法華経が説かれる前に、説かれています。これを 爾前教 にぜんぎょう (そのまえの教え)と言います。
このように真実の法華経以外にもお釈迦様の説法はいろいろありますが、それらはすべて法華経を説かんがために仮に設けた方便の教えであって、冷たく言うと、妄語です。これらを本気にして一宗一派を構えて居るのが華厳宗だったり真言宗だったり、浄土宗、禅宗などの宗教なのです。
しかし法華経はお釈迦様が自分の悟った内容を誰彼に遠慮することなく、ストレートに説かれた、「 随自意 ずいじい 」の教えでありますから、一番正しいのです。法華経以外は方便の仮の教えなのです。
でも――、それは法華経が説かれる以前の話であって、真実の法華経が説かれた以後は、法華経の教えの意義内容に沿ってそれらの爾前教を用いた場合、そこに法華経の意義内容が籠もって、真実を帯びた教えとなるのです。これを 開会 かいえ と言います。法華経の名号、即ち南無妙法蓮華経を唱える人は前世から引き継いで高々と積み上げてきた悪業・悪い行いによって生じるべき悲惨な報いを、改めて、善業となります。
ウソも方便、とは世間で言うことですが、真実でないことを心底真実であると捉えて執することがいけないことであって、それが言う方も言われる方も方便であると分かって使う分には害はないのです。
しかしそうは言っても今の世の中、機根、即ち仏法の理解能力、信ずる能力が下劣になっていますから、やはりもっとも正しい法華経を勧め、信じる事が大事なのです。一番確かなのです。

法華経には

不受余経一偈 法華経以外の教えを一句であっても受け手はイケナイ 四十余年未顕真実 釈尊30歳から72歳までの42年間の教えは真実ではない、方便、間違った教えである 正直捨方便 だから正直に、これから説く法華経を信じ、これまで説いてきた方便の教えは捨てなさい

と釈尊が説かれているのです。
釈尊だけではありません、宝浄瑠璃世界からやってきた多宝如来も、ありとあらゆる分身仏もこの法華経だけが正しい事を保証しています。
だから、日蓮大聖人は法華経以外の経に執着する諸宗を「間違っているんですよ」と教え諭しているのです。
しかし
流れに竿させば波立つのは道理で、これにより大聖人は様々な迫害を被るのです。

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