大石寺たいせきじ一問一答いちもんいっとう


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大石寺に見学に来られた一般の見学者の方に尋ねられた事柄をまとめていきます。
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〓目次〓
  1. ■大石寺の御本尊ごほんぞんは何ですか?
  2. ■本門戒壇の大御本尊とはどんなものですか?
  3. ■坊がたくさんあるんですね、いくつあるんですか?
  4. 宿坊しゅくぼうにはいつでも泊まれるのですか?
  5. ■大石寺には一体何人のお坊さんが居るのですか?
  6. ■日蓮正宗は末寺がどれくらいの数があるのですか
  7. ■全国の末寺で同じ信仰をしているのですか? でもそれは当然の事ですよね?
  8. ■大石寺は身延山久遠寺とどうちがうの?
  9. ■日蓮正宗と日蓮宗、なんだか紛らわしいですね
  10. ■どうして大石寺は身延山久遠寺とちがうの?
  11. ■こんな素晴らしいところなのに全然有名じゃないですね、もっと宣伝したらいいのに
  12. ■守衛があったりして、一般の人が入ったらいけない所だと思って居た。
  13. ■年中行事にはどんなのがあるの?
  14. ■御朱印は頂けないのですか?
  15. ■御供養をしたいのです

■大石寺の御本尊ごほんぞんは何ですか?

何だと思います?仏像とかではありませんよ。弘安2年(1279年)10月12日に日蓮大聖人が書き顕された本門戒壇ほんもんかいだん大御本尊だいごほんぞんです。ただしこれは信心をしている人にしか御開帳いただけない秘仏ですから、御信徒でないあなたは見ることが出来ません。 各塔中坊にはこの大御本尊をお写しした書写本尊が安置されていますが、これとてもその日に宿坊・休憩坊として機能している坊以外では参詣して拝することが出来ません。御影堂は堂に上がってお詣りできますが、厨子は閉まっているのでやはり御本尊は拝せません。
入信すれば堂々と拝することが出来ますから、御授戒を受け、入信しましょう。  
そこで当坊(本種坊[20])では常に参詣・参拝者を慮って、
寺の者が居る限り6~19時まで門戸を開放しておりますので
ぜひお参り下さい。
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■本門戒壇の大御本尊とはどんなものですか?

どこかでごらんになったことはないでしょうか?日蓮大聖人が信仰の対象として御自分の悟りを顕わされたもので中央に南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう 日蓮にちれん大書たいしょされ、周りに釈尊、多宝仏たほうぶつを初めとする諸々の仏菩薩が配置されている十界曼荼羅じっかいまんだらと呼ばれるものです。今あなたの物言いに合わせて「もの」と言いましたが御本尊様は仏様です。信心をしている人に対して御本尊のことを「もの」のようにいうのはやめましょう。
日蓮大聖人はこの御本尊について 「一念三千の法門をふりすすぎたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり」(草木成仏口決523頁
「末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏のすりかたぎたる本尊なり」(日女御前御返事1387頁
と仰せです。

■坊がたくさんあるんですね、いくつあるんですか?

全部で24ヶ坊あります。中には建物だけで所属信徒の居ない坊もありますが、大体の坊には所属する信徒がいて御講おこう奉修、折伏しゃくぶく、勉強会等の信心活動を活発に行っています。

宿坊しゅくぼうにはいつでも泊まれるのですか?

残念ながら、大石寺の宿坊は御信徒の方しかお泊めできません。御供養ごくようは受け付けますが、宿泊費のようなものは頂いていません。あなたがもし真言宗高野山こうやさんの宿坊のようなものを想像しているのなら、それは違います。先日テレビでやっているのを見ましたが、高野山の宿坊は旅館か何かのようなビジネスと化しているようですね。大石寺は観光地ではありません。信仰の寺です。あなたもぜひ日蓮正宗に入信して、宿坊に泊まってみて下さい。

■大石寺には一体何人のお坊さんが居るのですか?

ざっと言うと100人くらい居ます。小僧さんもいれると150人くらいでしょうか。日蓮正宗の全僧侶が約1000人ですから、1割がこの総本山に在勤していることになりますね。

■日蓮正宗は末寺がどれくらいの数があるのですか

海外も含めると約600ヶ寺ほどあります。当然の事ながら、例え海外であっても、どこの末寺においても日蓮大聖人が顕された曼荼羅まんだら御本尊を安置し、総本山大石寺と全く同じ信仰をしています。

■全国の末寺で同じ信仰をしているのですか? でもそれは当然の事ですよね?

普通に考えれば一つの宗教なのですから信仰の対象が同一であることは当然です。私も強くそう思うのですが、しかし、他宗教ではその当然の事がなされていないケースが多々あります。例えば身延山みのぶさん久遠寺くおんじを本山とする日蓮宗では御本尊に定見ていけんがなく、末寺の個々で本尊が区々まちまちであり決まっていません。大崎学報でしたか、色々あるけれど大まかに分けると四つに分類することが出来る、などと公的に言っているくらいですから。
 現に柴又しばまた帝釈天たいしゃくてんや富士の毘沙門天びしゃもんてんなども身延日蓮宗の寺院なんです。日蓮大聖人は法華経だけを信じなさいと言っておられるのに、法華経ほけきょう以外の余計な仏菩薩を安置してあがめているのは身延日蓮宗には日蓮大聖人からの教えがまともに伝わっていない何よりのあかしです。
 またその他の宗教についても烏合うごうの衆なので「この教えをもって人々を救済きゅうさいするのだ」という自負じふ欠落けつらくしています。キリスト教がイスラム教の礼拝のために教会を提供したり、天台座主が高野山を表敬訪問したり、浄土宗が世界宗教会議なるものを企画したりしている姿はまさに「自分の宗教こそ一切衆生を救済する最高の教えである」という確信がない、営利えいり宗教であると言って差し支えありません。

■大石寺は身延山久遠寺とどうちがうの?

いい質問ですっ! 簡単に説明しますが、それでも長くなると思いますが聞いてくれますか? ぜひ聞いて下さい。
 まず決定的な違いは、敬っている仏様が違いますっ!。
身延日蓮宗では仏様といったらお釈迦様に決まっているじゃないか、とばかりに金ぴかの釈尊を仏と仰いでいます。大石寺日蓮正宗では日蓮大聖人さまこそが御本仏さまであると崇めています。
 あなたは今「へ? 歴史上の人物の日蓮大聖人が仏様?」と思われたでしょう?
 そうです、聞き違いではありません、日蓮大聖人さまはお釈迦様よりも尊い仏様なのです。
 まず冷静に考えてみて下さい。成仏というのは「仏に成る」ことをいうのですよ。仏様が金ぴかで人間離れした存在だったならば、私達はどう逆立ちをしても成仏は出来ません。また考えてみて下さい。お釈迦様だって人間としてこの世にお生まれになったのです。仏様は必ず私達と同じ姿形をしてこの世に出現し、私達と苦楽を共にして私達を悟りの境界に導いて下さるのお方なのです。(難しい用語ですが、これを「八相成道」と言いますよ)
 お釈迦様は法華経という一番大事なお経の中で、自分が死んだあと、末法という最悪の時代が到来する。その時にこの法華経を再び説かれるお方が出現される。その方は自分よりも尊い方である(法師品趣意)と予言されています。
 そこで、末法元年たる西暦1052年以降を見てみると、法華経だけを弘めた人で法華経に説かれるように斬られたり叩かれたり、二度も島流しにあったり、人々から悪口を言われ追い出されたり、などした人は日蓮大聖人以外にはあり得ませんよ。そして何より日蓮大聖人御自身も近しい弟子には自らが法華経の行者であり、下種本仏である旨を明かされているのです。
 日蓮というお名前に通ずるところでありますが、法華経の神力品という所に次のようにあります
日月にちがつ光明こうみょうの もろもろ幽冥ゆうみょうのぞくがごと
ひと世間に行じて 能く衆生のやみめっ
無量むりょう菩薩ぼさつをして 畢竟ひっきょうして一乗いちじょうじゅうせしめん
つまり、末法の世にお出ましになる方は「ひと」と言われるように人として、市井の庶民として現れるのである、ということです。

■日蓮正宗と日蓮宗、なんだか紛らわしいですね

いや、昔はみんなどこも「日蓮宗」と名乗っていたのです。大石寺は日蓮宗富士派とか興門派とか称されていました。身延日蓮宗は日蓮宗一致派ですかね。要するに「日蓮宗」というのは総称であって、特定の組織を指定する名前ではなかったのです。
 それが明治維新の際、挙国一致して臨まねばならないということになって、国から 「諸宗教は沢山ありすぎて統制が取れない。いっそ浄土宗、真言宗、禅宗、等各宗毎にまとまってくれ」、という指図 があり、身延山久遠寺は徳川時代から権力に取り入る事に腐心していたことが功を奏したか日蓮大聖人を宗祖と立てる一団の長という立場を国から得たのです。そしてそれまでは日蓮宗一致派という名前で呼ばれていたのに、これを機に自分たちのことを「the日蓮宗」ということにしてくれ、と国に要請し、それが許可されてしまった。
 さぁそうすると、大石寺は、「大石寺こそが日蓮大聖人の正統門下である」と自負していますから、罰当たりな身延山久遠寺なんかと一緒に見られたり、傘下にあるように見られるのは到底受け入れられません!
ですから、お上に申し上げて、「日蓮宗」という名前で、身延山久遠寺とは別個の宗教であることを認めて貰ったのです
 (因みに創価学会では無知な会員を騙そうとしてか、日蓮正宗はこの時に成立した新興宗教だ、などといっているようですが噴飯ものですね。まぁ自分たちが根無し草の新興宗教だから、同じ土俵に立たそうとしているのでしょうけどね)
 とはいっても既に少なくとも江戸時代から日蓮正宗の内部では自らのことを「正宗」と呼んでいたという記録が残っています。
 それから、浄土宗の人が言うんですよ。「日蓮宗はどこまで逆上のぼせ上がっているんだ」とね。
どういう事かというと、浄土宗は自分のことを法然宗なんて呼ばない。いくら開祖を尊敬するからって、開祖の名前を宗名につけるなんてトンデモナイ、ということなんです。
 でもね、私達日蓮正宗にとっては当然なんです。だって日蓮大聖人は仏様なのですから。
 逆に、身延日蓮宗はお釈迦様を仏と立てているんだから、「釈尊宗」とでも名乗ったら良いのに、と思うんですが、言っていることとやっていることが合致していないんです。
 だから表記的には「正」の字が付くか付かないかの違いですが、その内実は天地雲泥の差があるので決して間違わないようにして下さいね。

■どうして大石寺は身延山久遠寺とちがうの?

えー(コホン)、まずあなたの認識を伺いたいんですが、どっちが日蓮大聖人の仏法を受け継ぐ本流だと思ってますか?もしかして久遠寺の方が本流だと思っていませんか? もしそうだとしたらそれは大きな誤りです。ぜひ見識を改めて頂きたいですね。
 身延山久遠寺を開いた日蓮大聖人は弘安5年(1279年)に体調を崩され、常陸の湯というから今の茨城県へ湯治にでかけられその途中で今の池上本門寺(東京)がある所で御入滅(お亡くなり)になりました。
 日蓮大聖人には常にお仕えしていた日興上人というお弟子が居ましたが、日蓮大聖人は御入滅に当たって、この日興上人にご自分の仏法の全てをお授けになりました。日興上人は日蓮大聖人のお葬式をすませ、お骨を以て身延山久遠寺の2代目住職として大聖人の仏法を弘めていました。
 しかしそこの地主である波木井実長というお侍が――、この人は元々日興上人に教化された日興上人の信者だったのですが、この波木井氏が大聖人の教えに反する事を色々やり出しまして、日興上人も注意したのですけれども中々聞き入れず、最後にはあなたは私の師匠ではない、なんて言って反抗するようになりました。いろんな権力をもつ地主さんがこんな風ではもうこの場所で大聖人の仏法を弘めていくことは難しいな、と判断された日興上人は大聖人の法魂たる本門戒壇の大御本尊や大聖人の御遺骨を初めとする一切合切を持って、身延山久遠寺を出て、この大石寺へ移ってきました。ですから、日蓮大聖人の仏法の本流は大石寺にこそあるのです。
 だいたい、日蓮大聖人は身延を安住の地とは考えていらっしゃいませんでした(富木殿御書730趣意)し、地頭が謗法(仏法に逆らう)の時は日蓮大聖人の魂も住むことはないという御遺言(美作公御坊御返事・歴全1-113)もありました。さらに広宣流布のあかつきには富士山に本寺を構えることも予め御遺言(一期弘法抄1675)されていましたから、身延という土地に特別な意味はないのです。
 身延山久遠寺は今日限りでおしまいだ、と日興上人が立ち去ったあとは、もはや身延はからっぽです。
 そこへ大聖人の法脈と関係のない坊さんの格好をした人が勝手に、日蓮上人のお墓があったところ、ということを売り物にして勝手に切り盛りして現在に至っているのが身延山久遠寺なのです。
 だから、日蓮大聖人の教えが何なのかさっぱり分かっていないんです。見よう見まねだから。それで結局、御本尊が何か未だに分からないし、こうだとも決められずにいるんです。いうなれば無明の姿です。そんな所に仏法の功徳があるはずがないんです。日蓮宗の本山(久遠寺)がそういう罰当たりなら、その末寺も大謗法ばちあたりであることを免れません。私の宗旨は身延日蓮宗だ、という人は直ちに日蓮正宗へ帰依するべきです。謗法の宗教は檀家の命を吸い取り、弱らせこそすれ、決して成仏という最高の境界へ導くことはありません。あなたは命を吸い取られているのです。怖いことですよ、これは。

■こんな素晴らしいところなのに全然有名じゃないですね、もっと宣伝したらいいのに

そうですね。でも一つ言える事は、あまり宣伝をすると観光地になってしまう、という懸念があることです。
あくまで大石寺は信仰の山です。風光を求めてくる人は拒みませんが、この信心をして是非幸せになって欲しいと願っています。

■守衛があったりして、一般の人が入ったらいけない所だと思って居た。

平成3年でしたか、日蓮正宗が創価学会を破門にしたとたん、どういう訳か右翼が押し寄せてきて、大石寺の周囲を街宣車でわーわー言いながら回るのを初めとして三門に赤ペンキをブチ撒いたり、ドーベルマンを引いて境内地を闊歩したり、ランドクルーザーで参道を登ってきたり、銃弾入りの脅迫状が送られたり、火炎瓶を投げられたり、銃弾が撃ち込まれたりしました。僧侶を見かけると凄んで見せたり、中には依頼人より高額を支払えばやめてやっても良い的なことを言って、暗に自分たちは金で雇われているんだと明かした者も居たようです。
しかしおかしなことにそうした行為を市内の創価学会員は市民活動として賛嘆する旨を表明したりしていました。そんな酷い仕打ちを受けましたので彼らの行動を記録し、警戒するために守衛さんがつくようになりました。今でも三門裏手の小道や大石寺外周道路北西あたりに「スピーカーでがなり立てるのは違法行為だ」、と注意する看板がありますがこれはその時の名残です。まぁそういうわけですから今でも守衛さんが詰めていますが、実際、朝に境内地でジョギングする人、犬の散歩する人、皆さんのように撮影をする人などしょっちゅう居ます。害意がなければ、別に咎め立てもしません。しかし、未だに時たま、創価学会の変な人がやってきて、大声で怒鳴り散らしたり、座り込んだりと非常識な事をする人が居ます。守衛さんも大変だなぁといつも感謝しています。
当時はこういう人も居たようで安心してまたおいで頂きたいですね。

■年中行事にはどんなのがあるの?

大石寺における年中行事には次のような物があります。
一般の方も参列出来る行事もありますが、いずれも厳粛な法要ですので物見遊山の気持ちで来られても困ります。
背広等ちゃんとした身なりでお願いします。
また随時参列資格は変更になるかも知れず一般の方の参列を保証するものではありません。

月日時間場所内容備考
1月1日02:30客殿元朝勤行一般参列可
2月3日18:30御影堂節分会 〃
2月6日16:00客殿興師会 御逮夜〃 日興上人祥月命日前日
2月7日07:00客殿興師会 御正当〃 〃 当日
2月16日07:00御影堂宗祖日蓮大聖人誕生会一般参列可
 引続き五重塔御塔開き世界広布を期しての法要
3月春分09:00客殿春季彼岸会一般参列可
3月28日07:00御影堂立宗内証宣旨報恩会 〃
3月下旬10:00六壷得度式関係者のみ
4月6~7日13:00奉安堂、御影堂御霊宝虫払大法会
4月6~7日08:30客殿(御真翰披露)
4月下旬客殿教師補任式
4月28日07:00御影堂立宗会一般参列可
5月1日07:00客殿大行会開基壇那南条時光殿祥月命日
8月14日07:00典礼院ほか墓参一般参列可
8月15日09:00客殿盂蘭盆会一般参列可
9月12日18:00御影堂御難会(龍の口法難会)一般参列可
9月18~19日客殿、常唱堂寛師会第26世日寛祥月命日関係者のみ※同時開催の奉納角力大会・花火大会は一般参加可
9月秋分09:00客殿秋季彼岸会一般参列可
11月14日16:00客殿目師会 御逮夜第三祖・日目上人祥月命日前日
~11月15日07:00客殿目師会 御正当第三祖・日目上人祥月命日当日
11月20~御影堂、客殿御大会日蓮大聖人祥月命日
~21日(申状奉読・お花くずし)日蓮大聖人祥月命日
12月15日09:00下之坊御会式最後の御会式

■御朱印は頂けないのですか?

これ、世間でブームなのか、たまに聞かれるのですが、本宗では御朱印なるものを発行していません。  そもそも御朱印とは、他宗教においては写経や御供養を寺院に納め、その証文として発行されているようですが、本宗は不受不施、(受けず施さず)といって、日蓮正宗を信心していない人からの御供養は受け取りませんし、信心をしていない人に頼まれてもお経を上げたりしません。
 これは日蓮大聖人が立正安国論で、お釈迦様以前の仏様の世では罰当たりな奴は殺してしまうのが功徳である、という風であったが、お釈迦様は能忍・よく耐え忍ぶ仏様であるから、罰当たりな輩に対しては殺してしまえ、ではなく、止施、つまり施しをしない対応をすることになったと説明されていますし、浄く正しい仏菩薩は信心をしていない謗法の人からの布施は受け取らないとも説明されている事に由来します。  日蓮正宗の寺院には「賽銭箱」というものがありません。大石寺にも探してみて下さい、ありません。これもその理由によるものです。
 ですから、本宗の信心をしていない世間一般の方が「御朱印を下さい」と言ってきても応じられないのです。
 世にある観光地の記念のスタンプのようなものでよければ、大日蓮出版の書籍売り場にありますから行って見ると良いです。
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