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『戒体即身成仏義』


(★7㌻)
 声聞・縁覚の身は尽形寿の戒に酬いたり。既に一業引一生の戒体、因は是善悪、果は是無記の身なり。其の因既に去りぬ。何なる善根か有りて法華の戒体と成るべきや。菩薩は又無量劫を歴て成仏すべしと誓願して発得せし戒体なり。「須臾聞之即得究竟」の戒体と成るべからず。此等の大なる疑ひ有るなり。然るを法華経の意を以て之を知れば、十界共に五戒なり。其の故は、五戒破れたるを四悪趣と云ふ、五戒失せたるに非ず。譬へば家を造ってこち置きぬれば材木と云ふ物なり、数の失せたるに非ず、然れども人の住むべき様無し、還って家と成れば又人住むべし。されば四悪趣も五戒の形は失せず。魚鳥も頭有り、四支有るなり。魚のひれ四つ有り、即ち四支なり。鳥は羽と足とあり、是も四支なり。牛馬も四足あり、二つの前の足は即ち手なり。破戒の故に四足と成りてすぐにたゝざるなり。足の多くある者も、四足の多く成りたるにて有るなり。蠕蛇の足なく腹ばひ行くも、四足にて歩むべきことはりなれども、破戒の故に足無くして歩むにて有るなり。畜生道此くの如し。餓鬼道は多くは人に似たり。地獄は本の人身なり。苦を重く受けん為に本身を失はずして化生するなり。大覚世尊も五戒を持ち給へる故に浄飯王宮に生まれ給へり。諸の法身の大士、善財童子・文殊師利・舎利弗・目連も皆天笠の婆羅門の家に生まれて仏の化儀を助けんとて、皆人の形にて御座しましき。梵天・帝釈の天衆たるも、竜神・修羅の悪道の身も、法華経の座にしては皆人身たりき。此等は十界に亘りて五戒が有りければこそ、人身にては有らめ。諸経の座にては四悪趣の衆生、仏の御前にて人身たりし事は不審なりし事なり。舎利弗を始めとして千二百の阿羅漢・梵王・帝釈・阿闍世王等の諸王、韋提希等の諸の女人、皆「衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲す」と開会せし事は、五戒を以て得たる六根・六境・六識を改めずして、押さへて仏因と開会するなり。竜女が即身成仏は畜生蛇道の身を改めずして、三十二相の即身成仏なり。畜生の破戒にて表色なき身も、三十二相の無表色の戒体を発得するは、三悪道の身即ち五戒たる故なり。されば妙楽大師の釈には五戒を十界に
 

平成新編御書 ―7㌻―

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