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『蓮盛抄』


(★28㌻)
 「増上慢の比丘将に大坑に墜ちんとす」と。禅宗云はく、毘盧の頂上を踏むと。云はく、毘盧とは何者ぞや。若し周遍法界の法身ならば山川大地も皆是毘盧の身土なり、是理性の毘盧なり。此の身土に於ては狗野干の類も之を踏む。禅宗の規模に非ず。若し実に仏の頂を踏まんか、梵天も其の頂を見ずと云へり。薄地争でか之を踏むべきや。夫仏は一切衆生に於て主師親の徳有り。若し恩徳広き慈父を踏まんは、不孝逆罪の大愚人・悪人なり。孔子の典籍尚以て此の輩を捨つ、況んや如来の正法をや。豈此の邪類邪法を讃めて無量の重罪を獲んや云云。在世の迦葉は頭頂礼敬と云ふも、滅後の闇禅は頂上を踏むと云ふ、恐るべし。
  禅宗云はく、教外別伝不立文字と。答へて云はく、凡そ世流布の教に三種を立つ。一には儒教、此に二十七種あり。二には道教、此に二十五家あり。三には十二分教、天台宗には四教八教を立つるなり。此等を教外と立つるか。医師の法には本道の外を外経師と云ふ。人間の言には姓のつゞかざるをば外戚と云ふ。仏教には経論にはなれたるをば外道と云ふ。涅槃経に云はく「若し仏の所説に順はざる者有らば、当に知るべし、是の人は是魔の眷属なり」云云。弘決の九に云はく「法華已前は猶是外道の弟子なり」云云。禅宗云はく、仏祖不伝云云。答へて云はく、然れば何ぞ西天の二十八祖・東土の六祖を立つるや。付嘱摩訶迦葉の立義已に破るゝか。自語相違は如何。禅宗云はく、向上の一路は先聖伝へず云云。答ふ、爾らば今の禅宗も向上に於ては解了すべからず。若し解せずんば禅に非ざるか。凡そ向上を歌って以て憍慢に住し、未だ妄心を治せずして見性に奢り、機と法と相乖くこと此の責尤も親し。旁化儀を妨ぐ、其の失転多し。謂はく教外と号し剰へ教外を学び、文筆を嗜みながら文字を立てずと、言と心と相応せず。豈天魔の部類・外道の弟子に非ずや。仏は文字に依って衆生を度し給ふなり。問ふ、其の証拠如何。答へて云はく、涅槃経十五に云はく「願はくば諸の衆生悉く是出世の文字を受持せよ」と。像法決疑経に云はく「文字に依るが故に衆生を度し菩提を得る」云云。若し文字を離るれば何を以てか仏事とせん。
 

平成新編御書 ―28㌻―

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