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『諸宗問答抄』


(★31㌻)
 又押し返して問ふべし。根性の融不融の下には約教・約部とて二つの法門あり何れぞと尋ぬべし。若し約教の下と答へば又問ふべし。約教・約部に付いて与奪の二つの釈候。只今の釈は与の釈なるか、奪釈なるかと之を尋ぬべし。若し約教・約部をも与奪をも弁へずと云はゞ、さては天台宗の法門は堅固に無沙汰にて候ひけり。尤も天台法華の法門は教相を以て諸仏の御本意を宣べられたり。若し教相に闇くして法華の法門をいへば「法華経を讃むと雖も、還って法華の心を死す」とて、法華の心を殺すと云ふ事にて候。其の上「若し余経を弘むるに教相を明らめざるも義に於て傷ること無し。若し法華を弘むるに教相を明らめざれば、文義欠くること有り」と釈せられて、殊更教相を本として天台の法門は建立せられ候。仰せられ候如く、次第も無く偏円をも簡ばず邪正も選ばず、法門申さん物をば信受せざれと天台堅く誡められ候なり。是程に知ろし食されず候ひけるに、中々天台の御釈を引かれ候事浅猿き御事なりと責むべきなり。但し天台の教相を三種に立てらるゝ中に、根性の融不融の相の下にて相待妙・絶待妙とて二妙を立て候。相待妙の下にて又約教・約部の法門を釈して仏教の勝劣を判ぜられて候。約教の時は一代教を蔵通別円の四教に分けて、之に付いて勝劣を判ずる時は「前の三を麁と為し後の一を妙と為す」とは判ぜられて、蔵通別の三教をば麁教と簡び、後の一をば妙法と選び取られ候へども、此の時もなほ爾前権教の当分の得道を許し、且く華厳等の仏慧と法華の仏慧とを等しからしめて、只今の「初後の仏慧、円頓の義斉し」等の与の釈を作られ候なり。然りと雖も約部の時は一代の教を五時に分かって五味に配し、華厳部・阿含部・方等部・般若部・法華部と立てられ「前の三を麁と為し後の一を妙と為す」と判じて、奪の釈を作られ候なり。然れば奪の釈に云はく「細人麁人二倶に過を犯し、過の辺に従って説いて倶に麁人と名づく」と立て了んぬ。此の釈の意は華厳部にも別円二教を説かれて候へば、円の方は仏慧と云はるゝなり。方等部にも蔵通別円の四教を説かれたれば、円の方は又仏慧なり。般若部にも通別円の後三教を説きて候へば、其れも円の方は仏慧なり。
 

平成新編御書 ―31㌻―

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