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『一代聖教大意』


(★92㌻)
  五には法華経と申すは開経には無量義経一巻、法華経八巻、結経には普賢経一巻。上の四教四時の経論を書き挙ぐる事は此の法華経を知らんが為なり。法華経の習ひとしては前の諸経を習はずしては永く心を得ること莫きなり。爾前の諸経は一経一経を習ふに又余経を沙汰せざれども苦しからず。故に天台の御釈に云はく「若し余経を弘むるには教相を明らめざれども義に於て傷むこと無し。若し法華を弘むるには教相を明らめずんば文義欠くること有り」文。法華経に云はく「種々の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」文。種々の道と申すは爾前の一切の諸経なり。仏乗の為とは法華経の為に一切の経を説くと申す文なり。
  問ふ、諸経の如きは或は菩薩の為、或は人天の為、或は声聞縁覚の為、機に随って法門もかわり益もかわる。此の経は何なる人の為ぞや。答ふ、此の経は相伝に有らざれば知り難し。悪人善人・有智無智・有戒無戒・男子女人、四趣八部、総じて十界の衆生の為なり。所謂悪人は堤婆達多・妙荘厳王・阿闍世王、善人は韋堤希等の人天の人。有智は舎利弗、無智は須利槃特。有戒は声聞・菩薩、無戒は竜・畜なり。女人は竜女なり。総じて十界の衆生、円の一法を覚るなり。此の事を知らざる学者、法華経は我等凡夫の為には有らずと申す、仏意恐れ有り。此の経に云はく「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩堤は皆此の経に属せり」文。此の文の菩薩とは、九界の衆生、善人悪人女人男子、三蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の三乗、別教の菩薩、爾前の円教の菩薩、皆此の経の力に有らざれば仏に成るまじと申す文なり。又此の経に云はく「薬王、多く人有りて在家出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能はずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜず。若し是の経典を聞くこと得ること有らば乃ち能善菩薩の道を行ずるなり」と。此の文は顕然に権教の菩薩の三祇百劫・動喩塵劫・無量阿僧祇劫の間の六度万行・四弘誓願は、此の経に至らざれば菩薩の行には有らず、善根を修したるにも有らずと云ふ文なり。又菩薩の行無ければ仏にも成らざる事も顕然なり。天台妙楽の末代の凡夫を勧進する文、
 
 

平成新編御書 ―92㌻―

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