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『一念三千理事』


(★103㌻)
 
弘の五に云はく「初めに華厳を引くは、心は工みなる画師の種々の五陰を造るが如し、一切世界の中に法として造らざること無し。心の如く仏も亦爾なり。仏の如く衆生も然なり。心・仏及び衆生是の三差別無し。若し人三世一切の仏を求め知らんと欲せば、当に是くの如く観ずべし、心は諸の如来を造ると」金錍論に云はく「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土なり」文。
  三身の事
  先づ法身とは、大師、大経を引いて「一切の世諦は若し如来に於ては即ち是第一義諦なり。衆生顛倒して仏法に非ずと謂へり」と釈せり。然れば則ち自他・依正・魔界仏界・染浄、因果は異なれども、悉く皆諸仏の法身に乖く事非ざれば、善星比丘が不信なりしも、楞伽王の信心に同じく、般若蜜外道が意の邪見なりしも、須達長者が正見に異ならず。即ち知んぬ、此の法身の本は衆生の当体なり。十方諸仏の行願は実に法身を証するなり。次に報身とは、大師の云はく「法如々の智、如々真実の道に乗じて、来たって妙覚を成ず。智は如の理に称ふ、理に従って如と名づけ、智に従って来と名づく。即ち報身如来なり。盧舎那と名づけ、此には浄満と翻ず」と釈せり。此は如々法性の智・如々真実の道に乗じて妙覚究竟の理智法界と冥合したる時、理を如と名づく。智は来なり。


 

平成新編御書 ―103㌻―

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