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『守護国家論』


(★156㌻)
 天台智者大師は法華涅槃同味と立つると雖も亦捃拾の義を存す。二師共に権化なり。互ひに徳行を具せり。何れを正と為して我等の迷心を晴らすべきや。答へて曰く、設ひ論師訳者たりと雖も仏教に違して権実二教を判ぜずんば且く疑ひを加ふべし。何に況んや唐土の人師たる天台・南岳・光宅・慧観・智儼・嘉祥・善導等の釈に於てをや。設ひ末代の学者たりと雖も依法不依人の義を存し、本経本論に違はずんば信用を加ふべし。問うて云はく、涅槃経の第十四巻を開きたるに、五十年の諸大乗経を挙げて前四味に譬へ、涅槃経を以て醍醐味に譬ふ。諸大乗経は涅槃経より劣ること百千万倍と定め了んぬ。其の上迦葉童子の領解に云はく「我今日より始めて正見を得。此より前の我等、悉く邪見の人と名づく」と。此の文の意は涅槃経已前の法華等の一切衆典を皆邪見と云ふなり。当に知るべし、法華経は邪見の経にして未だ正見の仏性を明かさず。故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃との勝劣を定むる時、法華経を以て般若経に同じて同じく第四時に摂したり。豈正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為さんや如何。答へて曰く、法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し。方便品に云はく「今正しく是其の時なり」と。寿量品に云はく「毎に自ら是の念を作さく、何を以てか衆生をして無上道に入り、速やかに仏身を成就することを得せしめん」と。神力品に云はく「要を以て之を言はゞ、如来の一切の所有の法、乃至皆此の経に於て宣示顕説す」已上。 此等の現文は釈迦如来の内証は皆此の経に尽くしたまふ。其の上多宝並びに十方の諸仏来集の庭に於て釈迦如来の已今当の語を証し、法華経の如き経無しと定め了んぬ。而るに多宝諸仏本土に還るの後、但釈迦一仏のみ異変を存して、還って涅槃経を説き法華経を卑くせば誰人か之を信ぜん。深く此の義を存ぜよ。随って涅槃経の第九を見るに、法華経を流通して説いて云はく「是の経の世に出ずること彼の菓実の一切を利益し安楽する所多きが如し。能く衆生をして仏性を見はさしむ。法華の中の八千の声聞の記莂を授かることを得て大菓実を成ずるが如きは、秋収冬蔵して更に所作無きが如し」と。
 

平成新編御書 ―156㌻―

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