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『守護国家論』


(★159㌻)
 四十余年・已今当・皆是真実・依法不依人等の文を存して而も外に語に之を出ださず。難に随って之を問ふべし。抑所立の宗義何れの経に依るや。彼経を引かば引くに随って亦之を尋ねよ。一代五十年の間の説の中に法華経より先か、後か、同時なるか、亦先後不定なるかと。若し先と答へば未顕真実の文を以て之を責めよ。敢へて彼の経の説相を尋ぬること勿れ。後と答へば当説の文を以て之を責めよ。同時なりと答へば今説の文を以て之を責めよ。不定と答へば不定の経は大部の経に非ず、一時一会の説にして亦物の数に非ず。其の上不定の経と雖も三説を出でず。設ひ百千万の義を立つると雖も四十余年等の文を載せて虚妄と称せざるより外は用ふべからず。仏の遺言に不依不了義経と云ふが故なり。亦智儼・嘉祥・慈恩・善導等を引いて徳を立て難ずと雖も法華涅槃に違する人師に於ては用ふべからず。依法不依人の金言を仰ぐが故なり。
  亦法華経を信ぜん愚者の為に二種の信心を立つ。一には仏に就いて信を立て、二には経に就いて信を立つ。仏に就いて信を立つとは、権宗の学者来たり難じて云はん、善導和尚は三昧発得の人師、本地は弥陀の化身なり。慈恩大師は十一面観音の化身、亦筆端より舎利を雨らす。
 

平成新編御書 ―159㌻―

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