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『十法界明因果抄』


(★212㌻)
 譬へば楊葉の秋至れば金に似たれども、秋去れば地に落つるが如し。二乗の小戒は持する時は果拙く破する時は永く捨つ。譬へば瓦器の完くして用ふるに卑しく、若し破れば永く失するが如し」文。
  第八に縁覚道とは、二有り。一には部行独覚、仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習ひ、小乗の戒を持し、見思を断じて永不成仏の者と成る。二には麟喩独覚、無仏の世に在りて飛花落葉を見て苦・空・無常・無我の観を作し、見思を断じて永不成仏の身と成る。戒も亦声聞の如し。此の声聞縁覚を二乗とは云ふなり。
  第九に菩薩界とは、六道の凡夫の中に於て、自身を軽んじ他人を重んじ、悪を以て己に向け善を以て他に与へんと念ふ者有り。仏此の人の為に諸の大乗経に於て菩薩戒を説きたまへり。此の菩薩戒に於て三有り。一には摂善法戒、所謂八万四千の法門を習ひ尽くさんと願す。二には饒益有情戒、一切衆生を度しての後に自らも成仏せんと欲する是なり。三には、摂律儀戒、一切の諸戒を尽く持せんと欲する是なり。華厳経の心を演ぶる梵網経に云はく「仏諸の仏子に告げて言はく、十重の波羅提木叉有り。若し菩薩戒を受けて此の戒を涌せざる者は菩薩に非ず、仏の種子に非ず、我も亦是くの如く涌す。一切の菩薩は已に学し、一切の菩薩は当に学し、一切の菩薩は今学す」文。菩薩と言ふは二乗を除きて一切の有情なり。小乗の如きは戒に随ひて異なるなり。菩薩戒は爾らず。一切の有心に必ず十重禁等を授く。一戒を持するを一分の菩薩と云ひ、具に十分を受くるを具足の菩薩と名づく。故に瓔珞経に云はく「一分の戒を受くること有れば一分の菩薩と名づけ、乃至二分・三分・四分・十分なるを具足の受戒という」文。
  問うて云はく、二乗を除くの文如何。答へて云はく、梵網経に菩薩戒を受くる者を列ねて云はく「若し仏戒を受くる者は国王・王子・百官・宰相・比丘・比丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・
 
 

平成新編御書 ―212㌻―

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