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『十法界明因果抄』


(★213㌻)
 鬼神・金剛神・畜生乃至変化人にもあれ、但法師の語を解するは尽く戒を受得すれば皆第一清浄の者と名づく」文。此の中に於て二乗無きなり。方等部の結経たる瓔珞経にも亦二乗無し。
  問うて云はく、二乗所持の不殺生戒と菩薩所持の不殺生戒と差別如何。答へて云はく、所持の戒の名は同じと雖も、持する様並びに心念永く異なるなり。故に戒の功徳も亦浅深有り。
  問うて云はく、異なる様如何。答へて云はく、二乗の不殺生戒は永く六道に還らんと思はず、故に化導の心無し。亦仏菩薩と成らんと思はず、但灰身滅智の思ひを成すなり。
譬へば木を焼き灰と成しての後に一塵も無きが如し。故に此の戒をば瓦器に譬ふ。破れて後用ふること無きが故なり。菩薩は爾らず。饒益有情戒を発こして此の戒を持するが故に、機を見て五逆十悪を造り同じく犯せども此の戒は破れず、還って弥戒体を全くす。故に瓔珞経に云はく「犯すこと有れども失せず、未来際を尽くす」文。故に此の戒をば金銀の器に誓ふ。完くして持する時も破する時も永く失せざるが故なり。
  問うて云はく、此の戒を持する人は幾劫を経てか成仏するや。答へて云はく、瓔珞経に云はく「未だ住前に上らざる前○若しは一劫二劫三劫乃至十劫を経て初住の位の中に入ることを得」文。文の意は凡夫に於て此の戒を持するを信位の菩薩と云ふ。然りと雖も一劫二劫乃至十劫の間は六道に沈輪し、十劫を経て不退の位に入り永く六道の苦を受けざるを不退の菩薩と云ふ。未だ仏に成らず、還って六道に入れども苦無きなり。
  第十に仏界とは、菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す。三僧祇の間六度万行を修し、見思・塵沙・無明の三惑を断尽して仏と成る。心地観経に云はく「三僧企耶大劫の中に具に百千の諸の苦行を修し、功徳円満して法界に遍く、十地究竟して三身を証す」文。「因位に於て諸の戒を持ち、仏果の位に至りて仏身を荘厳す」文。三十二相・八十種好は即ち是戒の功徳の感ずる所なり。但し仏果の位に至れば戒体失す。  
 

平成新編御書 ―213㌻―

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