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『十法界明因果抄』


(★214㌻)
 譬へば華の果と成りて華の形無きが如し。故に天台の梵網経疏に云はく「仏に至りて乃ち廃す」文。
  問うて云はく、梵網経等の大乗戒は現身に七逆を造れると並びに決定性の二乗とを許すや。
  答へて云はく、梵網経に云はく「若し戒を受んと欲する時は、師応に問ひ言ふべし。汝現身に七逆の罪を作らざるや、菩薩の法師は七逆の人の与に現身に戒を受けしむることを得ず」文。此の文の如くんば七逆の人は現身に受戒を許さず。大般若経に云はく「若し菩薩設ひ殑伽沙劫に妙の五欲を受くるとも、菩薩戒に於ては猶犯と名づけず。若し一念二乗の心を起こさば即ち名づけて犯と爲す」文。大荘厳論に云はく「恒に地獄に処すと雖も大菩提を障へず、若し自利の心を起こさば是大菩提の障りなり」文。此等の文の如くんば六凡に於ては菩薩戒を授け、二乗に於ては制止を加ふる者なり。二乗戒を嫌ふは二乗所持の五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒等を嫌ふに非ず。彼の戒は菩薩も持すべし。但二乗の心念を嫌ふなり。
  夫以れば持戒は父母・師僧・国王・主君・一切衆生・三宝の恩を報ぜんが為なり。父母は養育の恩深し。一切衆生は互ひに相助くる恩重し。国王は正法を以て世を治むれば自他安穏なり。此に依って善を修すれば恩重し。主君も亦彼の恩を蒙りて父母・妻子・眷属・所従・牛馬等を養ふ。設ひ爾らずと雖も一身を顧みる等の恩是重し。師は亦邪道を閉じ正道に趣かしむる等の恩是深し。仏恩は言ふに及ばず。是くの如く無量の恩分之有り。而るに二乗は此等の報恩皆欠けたり。故に一念も二乗の心を起こすは十悪五逆に過ぎたり。一念も菩薩の心を起こすは一切諸仏の後心の功徳を起こせるなり。已上四十余年の間の大小乗の戒なり。
  法華経の戒と言ふは二有り。一には相待妙の戒、二には絶待妙の戒なり。先づ相待妙の戒とは、四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して爾前を麁戒と云ひ法華経を妙戒といふ。諸経の戒をば未顕真実の戒・歴劫修行の戒・決定性の二乗戒と嫌ふなり。法華経の戒は真実の戒・速疾頓成の戒・二乗の成仏を嫌はざる戒等を相対して麁妙を論ずるを相待妙の戒と云ふなり。
 
 

平成新編御書 ―214㌻―

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