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『十法界明因果抄』


(★215㌻)
  問うて云はく、梵網経に云はく「衆生仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る。位大覚に同じ已に真に是諸仏の子なり」文。華厳経に云はく「初発心の時便ち正覚を成ず」文。大品経に云はく「初発心の時即ち道場に坐す」文。此等の文の如くんば四十余年の大乗戒に於て法華経の如く速疾頓成の戒有り。何ぞ但歴劫修行の戒なりと云ふや。答へて云はく、此に於て二義有り。一義に云はく、四十余年の間に於て歴劫修行の戒と速疾頓成の戒と有り。法華経に於ては但一つの速疾頓成の戒のみ有り。其の中に於て、四十余年の間の歴劫修行の戒に於ては、法華経の戒に劣ると雖も、四十余年の間の速疾頓成の戒に於ては法華経の戒に同じ。故に上に出だす所の衆生、仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る等の文は、法華経の「須臾聞之、即得究竟」の文に之同じ。但し無量義経に四十余年の経を挙げて歴劫修行等と云へるは四十余年の内の歴劫修行の戒計りを嫌ふなり。速疾頓成の戒をば嫌はざるなり。一義に云はく、四十余年の間の戒は一向に歴劫修行の戒、法華経の戒は速疾頓成の戒なり。但し上に出す所の四十余年の諸経の速疾頓成の戒に於ては、凡夫地より速疾頓成するに非ず。凡夫地より無量の行を成じて無量劫を経、最後に於て凡夫地より即身成仏す。故に最後に従へて速疾頓成とは説くなり。委悉に之を論ぜば歴劫修行の所摂なり。故に無量義経には総て四十余年の経を挙げて、仏、無量義経の速疾頓成に対して宣説菩薩歴劫修行と嫌ひたまへり。大荘厳菩薩此の義を承けて領解して云はく「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。何を以ての故に、菩提の大直道を知らざるが故に、検径を行くに留難多きが故に。乃至大直道を行くに留難無きが故に」文。若し四十余年の間に無量義経・法華経の如く速疾頓成の戒之有れば、仏猥りに四十余年の実義を隠したまふの失之有らん云云。二義の中に後の義を作る者は存知の義なり。相待妙の戒是なり。
  次に絶待妙の戒とは、法華経に於て別の戒無し。爾前の戒即ち法華経の戒なり。其の故は、爾前の人天の楊葉戒、
 
 

平成新編御書 ―215㌻―

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