←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『唱法華題目抄』


(★231㌻)
 又一経の内に「凡有所見、我深敬汝等」等と説いて、不軽菩薩の杖木瓦石をもってうちはられさせ給ひしをば顧みさせ給はざりしは如何と申させ給へ。
  問うて云はく、一経の内に相違の候なる事こそ、よに心得がたく侍れば、くはしく承り候はん。答へて云はく、方便品等には機をかゞみて此の経を説くべしと見え、不軽品には謗ずとも唯強ひて之を説くべしと見え侍り。一経の前後水火の如し。然るを天台大師会して云はく「本已に善有り、釈迦は小を以て之を将護し、本未だ善有らず、不軽は大を以て之を強毒す」文。文の意は本善根ありて今生の内に得解すべき者の為には直に法華経を説くべし。然るに其の中に猶聞いて謗ずべき機あらば暫く権経をもてこしらへて後に法華経を説くべし。本大の善根もなく、今も法華経を信ずべからず、なにとなくとも悪道に堕ちぬべき故に、但押して法華経を説いて之を謗ぜしめて逆縁ともなせと会する文なり。此の釈の如きは、末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや。又法華経の方便品に五千の上慢あり、略開三顕一を聞いて広開三顕一の時、仏の御力をもて座をたゝしめ給ふ。後に涅槃経並びに四依の辺にして今生に悟りを得せしめ給ふと、諸法無行経に、喜根菩薩、勝意比丘に向かって大乗の法門を強ひて説ききかせ謗ぜさせしと、此の二つの相違をば天台大師会して云はく「如来は悲を以ての故に発遣し、喜根は慈を以ての故に強説す」文。文の心は仏は悲の故に後のたのしみをば閣きて、当時法華経を謗じて地獄にをちて苦にあうべきを悲しみ給ひて、座をたゝしめ給ひき。譬へば母の子に病あると知れども、当時の苦を悲しみて左右なく灸を加へざるが如し。喜根菩薩は慈の故に当時の苦をばかへりみず、後の楽を思ひて強ひて之を説き聞かしむ。譬へば父は慈の故に子に病あるを見て、当時の苦をかへりみず、後を思ふ故に灸を加ふるが如し。又仏在世には仏法華経を秘し給ひしかば、四十余年の間は等覚・不退の菩薩、
 

平成新編御書 ―231㌻―

provided by