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『唱法華題目抄』


(★233㌻)
 竜樹菩薩も亦然なり。天台大師、唐土の人師として一代分かつに大小・権実顕然なり。余の人師は僅かに義理を説けども分明ならず、又証文たしかならず。但し末の論師並びに訳者、唐土の人師の中に大小をば分けて大にをいて権実を分かたず、或は語には分かつといへども心は権大乗のをもむきを出でず、此等は「不退諸菩薩、其数如恒沙、亦復不能知」とおぼえて候なり。
  疑って云はく、唐土の人師の中に慈恩大師は十一面観音の化身、牙より光を放つ。善導和尚は弥陀の化身、口より仏をいだす。この外の人師、通を現じ徳をほどこし三昧を発得する人世に多し。なんぞ権実二経を弁へて法華経を詮とせざるや。答へて云はく、阿竭多仙人外道は十二年の間耳の中に恒河の水をとゞむ。婆藪仙人は自在天となりて三目を現ず。唐土の道士の中にも張階は霧をいだし、鸞巴は雲をはく。第六天の魔王は仏滅後に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・阿羅漢・辟支仏の形を現じて四十余年の経を説くべしと見えたり。通力をもて智者愚者をばしるべからざるか。唯仏の遺言の如く、一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習ありて実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。
  文応元年太歳庚申五月二十八日              日蓮花押
                鎌倉名越に於て書き畢んぬ。
 

平成新編御書 ―233㌻―

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