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『月水御書』


(★304㌻)
 南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば、日毎にし候が、例の事に成りて候程は、御経をばよみまいらせ候はず。拝しまいらせ候事も、一乗妙典と申し候事も、そらにし候は苦しかるまじくや候らん。それも例の事の日数の程は叶ふまじくや候らん。いく日ばかりにてよみまいらせ候はんずる等と云云。
  此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問はせ給ひ候御事にて侍り。又古も女人の御不審に付いて申したる人も多く候へども、一代聖教にさして説かれたる処なきかの故に、証文分明に出だしたる人もおはせず。日蓮粗聖教を見候にも、酒肉・五辛・婬事なんどの様に、不浄を分明に月日をさして禁めたる様に、月水をいみたる経論を未だ勘へず候なり。在世の時、多く盛んの女人尼になり、仏法を行ぜしかども、月水の時と申して嫌はれたる事なし。是をもて推し量り侍るに、月水と申す物は外より来たれる不浄にもあらず、只女人のくせかたわ生死の種を継ぐべき理にや。又長病の様なる物なり。例せば屎尿なんどは人の身より出づれども能く浄くなしぬれば別にいみもなし。是体に侍る事か。されば印度・支那なんどにいたくいむよしも聞こえず。但し日本国は神国なり。此の国の習ひとして、仏菩薩の垂迹不思議に経論にあいにぬ事も多く侍るに、是をそむけば現に当罰あり。委細に経論を考へ見るに、仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当たれり。此の戒の心は、いたう事かけざる事をば、少々仏教にたがふとも、其の国の風俗に違ふべからざるよし、仏一つの戒を説き給へり。此の由を知らざる智者共、神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して、多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり。若し然らば此の国の明神、多分は此の月水をいませ給へり。生を此の国にうけん人々は大に忌み給ふべきか。但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か。元より法華経を信ぜざる様なる人々が、経をいかにしても云ひうとめんと思ふが、さすがにたゞちに経を捨てよとは云ひえずして、身の不浄なんどにつけて、法華経を遠ざからしめんと思う程に、又不浄の時、此を行ずれば、経を愚かにしまいらするなんどをどして罪を得させ候なり。
 

平成新編御書 ―304㌻―

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